言語は思惟の「記号」(signe)ではない
言語は思惟の「記号」(signe)ではない。言葉と思惟とがいずれも主題的に与えられている場合にのみ両者の間にこのような外的関係が成り立つであろうが、実は両者は相互に他方の中に含まれているのであって、意味は言葉の中に嵌め込まれ、言葉は意味の外的実存なのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 13, 2019
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