自由
ある人が他人の恣意的な意志による強制に服していない状態を、ときに「個人的」または「私的」自由として区別することがある。自由という言葉をこの意味にもちいることを読者に注意させたいときには、必ずこの表現を使うことにしよう。(自由の条件)
— ハイエクbot (@hayek306) July 31, 2019
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ある人が他人の恣意的な意志による強制に服していない状態を、ときに「個人的」または「私的」自由として区別することがある。自由という言葉をこの意味にもちいることを読者に注意させたいときには、必ずこの表現を使うことにしよう。(自由の条件)
— ハイエクbot (@hayek306) July 31, 2019
が、テッペン超えぬとされぬから、前倒しで作業もできない。
醜いテーブルも美しいテーブルと同じ機能を果たすけれども、物の優秀性が判断される場合の標準は、単なる有益性ではなく、その物が本来似てしかるべきものに一致しているか一致していないかという標準である。(『人間の条件』24)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 31, 2019
たとえば数学以外の自然科学と経済学を比べるとき、実験という面では大きく違うものの、数理モデルを通して考える状況では同じである。物体の落下を考えるときは落下の公式で検討し、公共投資の波及効果を考えるときは無限等比級数の和の公式で検討するようなことである。
理解する/しないは受け手の問題だけれども、説明する/しないは、送り手に属する問題なんだ。つまり前者は読み手/テクストの話であって、後者は書き手/テクストの話。そんなことすら理解できぬとは!
言語は、間身体的な意思伝達(la communication intercorporelle)を、われわれが望むだけ多様に変化させ、またひろく拡大することができる。言語には間身体的な意志伝達と同じ条件、同じ型があるのだ。『シーニュ』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 31, 2019
立ち上がるとき、重心を意識的に移動するこのやり方は病院で習得したものだと気づく。
で理解できない、主語を書いてくれ、せめて何についての言及なのかを明らかにしてくれ、といっても通じないのだから処置なしである。
に服従させられる筋合いはないのだ。
芸術作品は日常作品の緊急な必要や欲求からも切り離しておかなければならない。実際、芸術作品は、このような日常生活の必要な欲求から最も縁遠いのである。(『人間の条件』23)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 30, 2019
からメールをもらう。こちらの質問に対する回答も含めて、べつになんてことはないフツーのやりとりなのだけど、それができぬ阿呆との不毛なやりとりが続いた(度を超してるから、迷惑メールに設定した)後なので、砂漠でオアシスに出会ったようだ。
そう指摘しているのである。それを「排他的」と評価しちゃうオツムの持ち主とは付き合えない。
『アンダルシアの犬』は、薄雲が月を横切るのを見た若い男が、若い女の眼をカミソリで真横に切り裂くなど、残虐なシーンの連続がセンセーションを巻き起こした。このダリの発想による眼球切断シーンは、バタイユ『眼球譚』と“理性的装置としての眼の破壊”というテーマを共有しているのかもしれない。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 30, 2019
終わりだ今月最後の仕事。ぼちぼち請求書の準備も。
旧知の芝居仲間との飲み会を計画。まだ日時も場所も具体化しはていないが、連絡先を共有したり、準備を整えた。久しぶりに会えることを私は楽しみにしている。
「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない」。(『人間の条件』45)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 29, 2019
もう、車椅子がデフォルトなんだ。
事象そのものに帰るということは、認識に先立つ世界に帰ることである。認識は常にこの世界について語るのであり、これに対してはいかなる科学的規定も、抽象的、記号的、依存的である。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 29, 2019
『異邦人』の主人公ムルソーは「三〇歳で死んでも七〇歳で死んでも同じことだ」と呟きますが、これは「いくら長く生きても人生は虚しい」というような粗雑なことを言っているのではない。死の間際になれば、過去に生きていた長さは問題にならないという正確な直観を表現している 『時間を哲学する』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) July 29, 2019
にもいちいち苦労する。
入院中にお目にかかれるチャンスがあったのに逃してしまったことが今となっては悔やまれます。
まさかこんなに重い後遺症が残るとは思わず、退院しさえすれば、またひょいひょいどこへでも出て行けると信じていたので。
「暑い」方が「雨」より遙かにマシである。
全部一日で片付いてしまうような用事も今は何日にも分け、事前に計画を立てて対処せねばならない。
ソシュールの記号学解体作業によって明らかにされた深層の言葉とは、制度化される以前のメロペー(初源的メロディ)、リズム、所作のみならず、夢という言語とも通底する〈動きつつあるゲシュタルト〉である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 29, 2019
の諸々の用事を片付けないと落ち着かないな。
言語哲学者・井筒俊彦氏によれば、〈アラヤ識〉こそが深層意識の言葉であり、この言葉は、概念的文節の支配する表層意識の言葉(=ラング)と違って、明確な分節性の無い〈呟き〉のようなものである。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 29, 2019
訪れた母校の大学は相変わらずだだっ広く、私はすでに当然に車椅子であった。
絵は、いかにも実物らしく見せかけるものではない。セザンヌ自身が語っているところによれば、彼は「まだ描かれていないものを、画家として描き、それを絶対的なかたちで、絵とする」のである。『セザンヌの疑惑』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 29, 2019
「絵」を「演劇」に置き換えても同じことが言えるだろう。
できる仕事は今のうちに片付けておきたいのだけど、「宿題」は一段落している。なかなかうまくいかないものだ。
を優先するならば、ダイエー内のダイソーに寄るのが効率的だが、廊下が狭くて車椅子では通れない。廊下の広さを優先するなら、出直して遠方まで歩かねばならぬ。私が店の外で待機すれば足りる話ではないかな。
妻の仕事で忙しさのピークを迎えているから、せめて足を引っ張らぬようにしたい。
ニーチェは、約束の能力(意志の記憶)こそ人間を動物から区別すると考えていた。人間関係における主権は、物世界における職人の能力と同じといってよい。しかし、前者は共に拘束された多数者によってのみ達成されるのにたいし、後者は孤立においてのみ考えられる(『人間の条件』33)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 29, 2019
若葉台へ行きたいな。入院中から計画していて実行できてない。
何をどうハッキリ伝えても真逆の意味のことを言ったことの根拠に利用されてしまうのであるから、語るだけ無駄というより、むしろ語ってはいけないのである。関わってはならぬ。
夢の内容について語り合う、という現実。
多少、時間が前後することはあっても、薬は決められたとおり飲むようにしている。
残念ながら、私は絶対自由主義者たちと同じではありません。それというのも、人間の根源的欲求に信を置く、ある絶対自由主義的な(リベルタリアン)哲学が存在するせいです。私は権力によって位置をつきとめられたいと思いませんし、とりわけアイデンティティーを特定されるなんて真っ平御免です。
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) July 29, 2019
「差延」もまた同じ問題領野において、ある経済(エコノミー)を指し示していた。すなわち、外部の根本的他性あるいは絶対的外部性を、哲学的諸対立の、すなわち「差異あるものたち」あるいは「差異」の領野に、闘争的で序列化する閉じた領野に関係づけるあの経済—戦争の経済—を。(『散種』)
— デリダbot (@J_Derrida_Bot) July 28, 2019
母校の大学の構内で、妻に車椅子を押してもらっている。サークル会館に行ってみようということになったが、砂利道に行く手を阻まれた。
いっさいの認識の始めであり終りであるはずの感覚やイマージュは、実はある意味の地平において初めて現れるのであり、また知覚されたものの意義は、連合の結果であるどころか、実はかえってすべての連合において予想されているのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 28, 2019
そもそも相手の言葉の真意(言わんとしていること)に興味がない人間とは「対話」など不可能である。
https://www.healthcare.omron.co.jp/resource/column/life/30.html
ストレスを受けると交感神経の働きで血管が収縮し、血圧が上昇する…従来は、簡単にそう説明されてきました。しかし、最近ではより科学的なメカニズムがわかってきています。
ストレス(とくに心理的なストレス)を受けると、脳(視床下部や脳下垂体)から副腎ホルモンが分泌されます。その刺激を受け、副腎からアドレナリン、神経末端からはノルアドレナリンが分泌されます。アドレナリンは、興奮したときなどに多く分泌される物質で、心拍数を高めます。また、ノルアドレナリンは交感神経を刺激し、血管を収縮させます。
こうした一連の作用は、ストレスに対抗するための防御反応なのですが、結果として血圧を上昇させることにつながります。
一方、私たちのからだではストレスによる緊張を和らげるため、副腎ホルモンを分解する酵素(アミノ酸化酵素)が分泌されます。副腎ホルモンが分泌されたり、酵素によって分解される過程で、体内には活性酸素が多く発生します。活性酸素は細胞を変質させ、がんや動脈硬化などの病気を発生させることが知られています(※3)。
最近の研究から、活性酸素によって私たちのからだが受ける酸化ストレスも、高血圧の要因であることが指摘されています(※4)
実際、意思疎通不可能なクソリプメールの相手をするとしないとじゃ数値に大きな違いが出た。
早くよこせとせっつかれたことはあるが、よこすなと言われたのはこれが初めてである。要するに「対話」などハナから求めていないということの証拠である。
曲解に基づく身勝手な設定
それを前提としたこれまた身勝手な(通俗性を後ろ盾とした)価値判断の強調。
こういう人間なのである。処置なしだ。何をどう説明しようが、新たな曲解の種を与えるだけだ。だから、せいぜい関わらぬことである。
なることが、まさかないなんて、自分でも信じていなかったんだ。
妻を巻き込むのはやめよう。ヒマじゃないんだ。
https://www.cdjournal.com/main/news/jack-johnson/37264
3月15日(火)より予定されていたSWANS(スワンズ) / James Blackshaw来日公演は延期に。振替公演については、今後アーティストと協議を重ねていくとのこと。
そうなのだ。新譜も買ったし、この公演のチケットを確かゲットしていた。払い戻しをどうしたんだか、忘れてしまった。
考えることができない相手なのだ。ある点にかんしては、これこれこういう理由で肯首する、といったところで、そもそも勝ち負けの話じゃないのに、全面勝利、などと噴き上がることは火を見るより明らかなのだ。もう、いい。関係を絶った。それでいい。
よく(というよりほとんど)わからないんだ。わからぬことへの言及は避ける。
迷惑メールに設定だと。そして定期的にゴミ箱行きだと。
記事を削除した。くだらぬことで付け入る隙を与えてはならない。そういう「含み損」をたっぷり含んだ危険人物だと判明したのだから。
文学の表現するものとは、まさしく悪の極限の形態-なのだが、その悪こそ、私達に取って至高の価値を持つものだと私は考えている。しかしそうだからといって別に道徳の不在を主張しようというのではない。むしろこれは「超道徳」を要求するものである。-文学と悪-
— ジョルジュ・バタイユ (@G_Bataille_jp) July 28, 2019
何の時だったか、仙川駅入口でハデに転けたことがあった。雨でタイルが濡れていたためと解釈したが、思えばあのときから、おかしかったのかも知れない。
https://businesschatmaster.com/bz-chat/line-kaisha-stukawanai
チャットやメールでやり取りする最大の利点は、履歴が残ることです。履歴が残ることにより確認漏れや不毛な水掛け論を防ぐことができます。ですので履歴の残らないツールはビジネスでは避けられる傾向にあります。
LINEは履歴が残ります。ですが残った履歴は会話調のメッセージばかりになることが多く、履歴として意味をなさないかその時のやり取りをたどらなければ真意がわからないような履歴となる傾向が強いです。そのためLINEは履歴が残るにもかかわらず、ビジネスであまり利用されません。
ところが世の中には相手の真意になど興味がなく、曲解に基づくレッテル貼りで、ただ相手を言い負かした気分を味わうことを目的とした人間がいるのである。どんなツールを使おうが「確認漏れや不毛な水掛け論を防ぐことが」できない。そもそも意思疎通不可能であり、対話になどなりはしない。どんだけ説明したところで新たなじょっかいの材料を与えることにしかならない。あらゆるリソースの無駄。関わらぬが吉である。
舞台美術の片手間に、垂木の棚などいくらでもつくってやれたのだけど、何もできなくなってしまった。
壁についてバランスを取りながらであれば、左脚一本で立てる。「筋力」の問題じゃないんだ。ハナからわかりきっていたことではあるが。
両手が使えれば、全然違うのだけどな。
までも妻にやってもらわねばならなくなった。申し訳なさでいっぱいだ。
用事のあるメールが埋もれぬために、クソリプメールは迷惑メール設定、即ゴミ箱行きである。
役所がやっててくれれば助かるのだけどなあ。
マンション理事会の議事録が配付された。
アンケートを実施した結果の報告、それに基づく議案の処理決定。
その選択をすることによる組合としてのメリットとデメリットが併記されている。それらは簡単に数値化できるものではないけれども、両者をいわば定量的に比較し、組合としての選択を判断したのである。アタリマエの話であるが。
https://kotobank.jp/word/含み損-184043
《「ふくみぞん」とも》株式や為替などの時価が、取得した価格(簿価)を下回っているときの損失。現金化して損失が確定されていないので、原価法を適用する場合は会計帳簿には計上されないが、時価会計を適用する場合は評価損として計上される。ただし、原価法を適用している場合でも、時価が簿価よりも大幅に(おおむね50パーセント以上)下落し、回復の見込みがない場合は評価損を計上しなければならない。⇔含み益。
あーこれこれ、こういうやつね
— 竹@放射線の人 (@sasa_take_sasa) July 28, 2019
デマを撒く人たちの典型というか常套手段。
原文は「高齢者に対する抗がん剤は効果が薄い」なんだけど
この人は「抗がん剤は効かない」に勝手に変換しちゃってる
文章を切り取ったり勝手に解釈しちゃうんだよねこういう人達は https://t.co/usAotqnJMH
まさにそういう人物が身近にいたと分かってびっくりした。いわば膨大な含み損である。そういう人物との関係は早めに絶っておいた方がいい。トラブルに巻き込まれるリスクが計り知れぬ。かようにハッキリ告げてやっても、それすらも曲解してくるのである。
どこにどういう影響が出るから、結果、どうなる、というのでなしに、ただ漠然と「結果」だけが預言のように医師から聞かされたのだった。
発言であるのか、それすら明示されぬやりとりなど、ゴメンなのだ。
われわれは諸経験の連結という奇跡にたえず立ち会っているのであり、またわれわれこそ諸関係のこの結び目なのだから、この奇跡がどのようにして生ずるのかを、われわれ以上に知っているものはいないのである。世界も理性も問題とはなりえない。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 27, 2019
リハビリ病棟のトイレ表示は男女ではなく、右半身麻痺/左半身麻痺に分かれていた。
他人もそうだと思い込み、その決めつけに基づいた勝手な設定で価値判断を強調する。
まったく鬱陶しい限りである。バカなのか? と思ったがバカなのだ。という確信に変わった。関わっちゃいけないレベルだ。
https://biz.trans-suite.jp/19221#1
「据え膳」の意味1「すぐに食べられる状態の食膳」
「据え膳(すえぜん)」の1つ目の意味は、すぐに食べられる状態に用意されて、前に出された食膳のことを言います。現代では温泉旅館などで見られる光景で、食事がのっているお膳を旅館の方がお客様に出しています。
「据え膳」の意味2「人を働かせて、自分は何もしない」
「据え膳」の意味の2つ目は、人を働かせて、自分は何もしないことです。「据え膳」の1つ目の意味で「すぐに食べられる状態に用意されて、前に出された食膳」とお伝えしましたが、「据え膳」があれば自分は何もしなくても食事をとることができます。
人が働いて用意してくれた食事を、自分は何もしなくても食べることができるという意味が転じて、「人を働かせて、自分は何もしない」という意味として使われるようになりました。
「据え膳」の意味3「女性が男性に言い寄ること」
「据え膳」の意味の3つ目は、女性が男性に言い寄ることです。「据え膳食わぬは男の恥」ということわざとしてよく使われています。
「据え膳食わぬは男の恥」以外でも使うことができます。例えば「据え膳だったのに、どうして断ったの?」という会話文では、「女性の方から誘ってきて、後は誘いにのるだけだったのに、なぜ断ったのか?」という意味になります。
奢り、だとか、ごちそうする、などという意味はないのだ。ない意味を、何の文脈の共有もなしに、この単語からイメージせよ、できないのはこちらが悪い、というのだから呆れる。どんだけ自己完結した言語感覚なのか。そんなことだからマトモな文章も書けやしないし、同一テキスト内にないものを指示代名詞で示して平気でいる。何のことか、と問われれば「否定」されたと思い込む。論点を理解せず、何でもかんでも勝ち/負けの単純な二元論なのだ。ぜんぜん面白くないのに自分ではユーモアがあると思っているらしい。どこまでも自己完結した人間である。だから勝手に持ち出した謎ルールに他人も従うのが当然と思って疑わない。要するにバカなのだ。関わってはいけないレベルの。
https://wellbeinglink.com/treatment-map/cancer/standardtherapy/
がんのステージは、ステージ0期からIV期まで5段階あり、ステージIVがもっとも進行している(悪化した)状態です。ステージの判定は、T.がんの大きさ(広がり) N.リンパ節への転移の有無 M.他の臓器への転移、という3つの要素を組み合わせて行われ(TNM分類)、各ステージに応じた治療が行われます
土を捨てた後の植木鉢を水洗いする。たったそれだけのことが片手では難儀なのである。
を、マンションの花壇に捨てた。もう花を植えるということもなかろうし、ポーチの一隅を徒に占領するだけだから。
http://agora-web.jp/archives/1455935.html
示唆に富んだ良記事だとおもう。
たとえば妻が腹が痛いと言えば、以前だったら、じゃあ、俺がと、たいていのことは代わってやることができたのに、今じゃ何もしてやれない。言っても詮無きことではあるが。
独自の謎ルールを他人に勝手に押しつけないでくれ。受け入れる筋合いはない。
OKわかった。迷惑メールに設定する。そういう自助努力が必要なのだろう。そんで定期的にゴミ箱行きだ。どうせ何も書いてないに等しいのだから、こちらはそれでいい。ただしそれで、連絡した/しないのおかしなトラブルに巻き込まないでくれよな。他人の文意を矮小化し、曲解に基づいてなになに病などとレッテルを貼って自分のでっち上げた「物語」に他人を回収したがる性癖を持つあなたのことだから警戒して釘を刺してるんだ。
このようにハッキリと告げてある。それすらも曲解して己の勝手な解釈を正当化するのであればもはや処置なしだ。金輪際関わってはならない。
これまた記しておこうと思ったことだけとりあえず記しておく。
http://kotowaza-allguide.com/nu/nukanikugi.html
その実例を記しておこうと思ったが、読み返すのもうんざりなので今はよしておく。備忘録として「記しておこうと思った」と言うことだけ記しておく。
を支払った。昔は、「払い忘れ」リスク回避のために全期分を一括で払っていたけど、今は資金繰りを優先させて、分納している。
何に対する言及なのかさっぱりわからない。ということを、どんだけ言っても(肯定/否定の二元論だから)理解せず(できず)、
曲解に基づく独りよがりな「事実」の設定、それに対する価値判断の強調を繰り返す。そしてそれが論理的主張だと思い込んでいる。三重にも四重にもうんざりである。「関わらぬが吉」という結論が補強される所以である。
「独楽は止まると倒れる」という諺は、決してモーレツサラリーマンの粉骨砕身振りを讃えているのではなく、まさにその反対の、日常生活世界のゆとりと愉しみを持つべきだという意味である。勤労自体が苦役ではなく喜びを伴った仕事となるためには日常の偶発性という生命の動きが止まってはならない。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 26, 2019
調整コストというか、虚無コストである。バカバカしい。ますます「関わらぬが吉」であるとの結論が補強された。
なしで風呂に入れるか挑戦しようとしたが、ただシャワーを浴びるだけになってしまうな。
https://toyokeizai.net/articles/-/129929?page=2
まあ、普通はそうだよな。ところが真逆の反応をする(早い返信を迷惑がる)人間が世の中にはいるんだ。驚きである。
だからさー、
その前にー、
君がー、
送って来たものにー、ラストいくつー、
とか示してー、
返してるー、
途中なんだってばよー🐬🐬
そのくらいー、
わかってよー、よー、チェキラ🐗🐗🐗
どういうわけか頑なに「返信」機能を使わず、このようなものばかりを「新規」で送りつけてくるから、何に対する言及なのかさっぱりわからない。ということを、どんだけ言っても理解しないのである。さすがにもう迷惑メール設定である。
曲解に基づく「事実」の設定、それに対する価値判断の強調。そしてそれが論理的主張だと思い込んでいる。三重にうんざりである。
深夜作業、終わり。
昔だったらここから別の仕事に手をつけて徹夜コースであるが。
ホモ・カンターンス。谷川俊太郎の詩に「鳥は歌うことを知っている/その為鳥は世界に気づかない」という節があった。人は鳥のように歌わない。その為世界に気づき、世界を作る。ソシュールは「音楽も舞踊も広い意味のコトバであり、これが動物と人間の境界を画する唯一のしるしだ」と考えた。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 25, 2019
送りつけてくるな、せめて何についての言及なのか明らかにしろといっても、それすら理解できないのだから処置なしである。
何をどう説明しても己の最初に設定した「物語」に嵌まるように相手の発言を矮小化し、曲解に基づく決めつけ(=レッテル貼り)を決して改めない。こんな相手と「対話」など成立するはずがなかろう。意思疎通不可能と結論し、せいぜい遠ざけておくしかない。つまり「関わらぬが吉」である。
われわれがほんとうに世界を知覚しているのかどうかと怪しんではならない。かえって、世界とはわれわれが知覚する当のものであると言わなくてはならない。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 24, 2019
これは私の体験に基づく仮説というか、想像にすぎないのだけれど、病前には決して感じることのなかった腕や手それ自体の重さを、何かを掴んで持ち上げているとか押していると脳が錯覚し「納得」した結果なのではなかろうか。
https://kotobank.jp/word/トレードオフ-178663
トレードオフとは、何かを達成するために別の何かを犠牲にしなければならない関係のこと。いわゆる「あちら立てれば、こちらが立たぬ」に相当する。 たとえば、在庫管理にはトレードオフがつきまとう。製品の在庫を減らすと、顧客の需要に答えられず、販売機会を逃す。逆に、製品在庫を増やすと、売れ残りが生じ、無駄に保管場所をとったり、余計な費用がかかる
。着替えを持つと杖が持てない。杖を持ったら着替えが持てない。トレードオフ。
https://www.asobou.co.jp/blog/bussiness/5w1h
5W1HとはWho(だれが)When(いつ)、Where(どこで)、What(なにを)、Why(なぜ)、How(どのように)を指し示す言葉です。
5W1Hを意識し文章を構成することで、伝えたい情報の主旨が明確になり、かつ過不足なく伝えることができます。
親兄弟や友人にのみ依存する子供は、一日も早く自立した責任ある社会人としての大人に成長するべきだという主張。確かにその通りだが、私達の視野を西欧近代以前にまで拡げて人間存在を汎時的に捉え直す時、〈自立/依存〉という二項対立そのものがそう簡単に成立しないことに気付くのではあるまいか。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 24, 2019
http://www.tamaneuro.com/konnatoki/
多摩脳神経外科
https://noborito-cl.com/special.html
登戸内科・脳神経クリニック
https://www.news-postseven.com/archives/20161218_475333.html
「低血圧とは、上(収縮期)の血圧が100mmHgを下まわる状態を指す、れっきとした疾患です。脳梗塞や心不全など重大疾患を引き起こす原因となる。それだけでなく、めまいや立ちくらみなどの症状を伴うため、高齢者が転倒して骨折や寝たきりになってしまうケースが後を絶ちません。
高血圧患者は全国に1010万人といわれるが、低血圧の患者数は、私の独自推計によれば高血圧を上回る約1700万人いると考えられる。全国民でみれば、女性の22%、男性でも8%にのぼります。にもかかわらず、低血圧は、高血圧のように健康診断で注意喚起されることはほとんどありません」
低血圧は、気温の変化などにより突然起こる「急性」と、常時血圧の低い状態が続く「慢性」に分けられる。高齢者が気をつけるべきは、慢性に分類されるうち「起立性低血圧」と「食後性低血圧」、そして急性の「入浴時低血圧」の3つだ。特に怖いのが「起立性低血圧」である。前出の永田氏が説明する。
「横になった状態から立ち上がったとき、上の血圧が21mmHg以上下がるような状態が長く続くことを『起立性低血圧』といいます」
起立性低血圧には恐ろしい研究報告がある。2015年、英国のクリストファー・クラーク医師らの研究グループが約1350人を対象に10年間にわたり死亡率を調査したところ、起立性低血圧患者は、そうでない人に比べて心疾患、脳卒中などの死亡率が約2倍だった。
「起立性低血圧は、頸動脈にある血流を感知するセンサーのような器官が、動脈硬化などによって作動しないことにより起きる。立ち上がった時に脳に血流を送ることができず脳梗塞などが起きるのです。また、突然ガクンと意識を失うので、打ち所が悪かったり、事故に巻き込まれたりして亡くなるというケースも少なくありません」
独りきりの生活をしていると、物語るということさえ、どういうことなのか分からなくなる。本当らしさは友人とともに消えてしまう。『嘔吐』
— サルトルbot (@jpsartre_bot) July 24, 2019
ずいぶん前に受け取った役者からのメールを保存したつもりが紛失してしまったようだ。「用件」の有用性でなしに、いわば「手紙」的なものとして大事だったのだが。
「刺激」とは、近距離で知覚される最もはっきりと規定された現象のことであり、私が「真の」世界を組み立てる際の材料なのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 24, 2019
どういうわけか今年は「夏休み」がない。自由業としてはありがたいことであるともいえるが。
考えてみれば公演前は稽古や作り物で、盆も正月もありゃしなかったのだ。それを思えば通常運転である。
いつだったか妻と若葉台へ蛍を見に行ったことがあったなあ。
懐かしく思い出される。
もう、蛍を見には行けないが、昼間に若葉台の店に行くことぐらいはできるだろう。
の支払期限が今月末だ。忘れぬようにしなきゃ。
具体的な人間とは、有機制に結び合わされた精神活動などではない。ある時は自己を身体としてあるにまかせ、またある時は人格的な行為に向う、実存の往復運動なのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 23, 2019
の日だから作業に備えて少し仮眠を取りたいところだが。そういう時間のやりくりもなかなか難しくなった。以前のようにさっと寝てぱっと起きることができない。なんとも不経済である。
もたもたしていると映るのは理解できる。自分だってもどかしい。けれど、随意運動のできぬ状態で転倒その他のさまざまな「事故」を避けながらでは、これが精一杯なのである。精神論では超えられない限界がある。
https://www.dou-kouseiren.com/byouin/obihiro/about/vt1bv7000000987n-att/vt1bv700000098dh.pdf
a)1日3回服用の場合:次に飲むまでに、少なくとも4時間は間隔を空けま しょう。 b)1日2回服用の場合:次に飲むまでに、少なくとも5時間は間隔を空けま しょう。 c)1日1回服用の場合:次に飲むまでに、少なくとも8時間は間隔を空けま しょう。
あたかもそういう感情をもっているかのようにふるまう「表層感情」と、実際の感情である「深層感情」とがありますが、両者が適当に乖離しているからこそ、バランスがとれるのであって、あまりにも接近してしまうと、社会生活はうまくいかない。『怒る技術』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) July 23, 2019
こちらがどんなに文意を明確にしても曲解を続け、勝手に設定した論点に基づく勝手なレッテル貼りで何事かを「理解」した気になっている。そういう人間と付き合うことで被る害のリスクヘッジはこちらでする必要がある。要するに関わらぬが吉ということである。
鷲は、全て、理解しておる🐗
鷲は、ヌシの頭の、上野ほうで、見回り、
鷲は、ときおり、地上のエサに、舞い降り、
鷲は、また、黄昏に、飛び立つ
戦況は、もう説明せんで、よかと🐗
しんどん。もう、ここいらで、よか🐧
こんな意味不明な文章を送りつけてこられても意味がつかめるわけがなかろう。意味が分からぬといっても明確にしないから推測するしかないが、「鷲」が一人称の(意図的な)誤変換と解釈すれば、ヌシというのは二人称すなわち私のことを指しているのだろう。こちらを一方的に見下し、思い上がった不愉快極まりないな文章である。そのようにしか読めない。それを指摘しても理解できないのだからどうにもならん。本人はこれで何か上手いことでも言った気になっているようだから、本来、クローズなやりとりを公の場に晒す流儀は私にないけれども、忘れぬよう(未来の私に対する注意喚起のため)にここに掲げておく。私は誤変換や言葉遣いについて「問題」にしたことは一度もないのだ。さらにそのことは何度も明確にしている。
考え、論点を明確にできないどころか、その必要性すら理解できない思考回路だから、単純な善悪、単純な敵味方の二分法に(自ら積極的に)陥るのだろう。
母性棄却という否定行為によって人間存在は母性=自然状態から離脱し、母子の融合状態から父的機能との同一化に至ることによって、初めて文化の象徴的秩序に組み込まれる。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 23, 2019
それが何についての発言なのかをいちいち推測せねばならぬ本来不要な手間をこちらが負わねばならぬ筋合いはないんだ。
私はこのコップではない、このテーブルではない、この部屋ではない。私の空虚は任意のものではなく、少なくともその限りにおいては私の無(néant)は埋められ無効にされている。だが実は、私の現在のこの擬似-肯定性はより深い、ないしは二重化された否定でしかないのだ。『問いかけと弁証法』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 22, 2019
発想に基づくバカげた自尊心の充足には付き合えない。実にくだらない。
〈Subject: 焼肉きんぐ狛江🐻
トイレ内は、割りと広く、使いやすい感じやな🐻
トイレ扉までの、1.5m程の、間口約70cmの通路入り口に、段差約15cmは、その間口の幅故に、寄りかかれるから、何とかなりそうやが🐻
無理ならば、
7月27日(土)、
17:40より、
焼肉きんぐ狛江店〉
過去の経緯を踏まえても意味が特定できぬから〈「無理ならば」以前の主語というか、何についての話だかわからない。〉といえば、簡潔に用件が述べられるかと思えば、その返答が
〈日本語、は、そもそも、あいまいな言語、やで🐻
読み取り玉恵💇〉
である。
こんな不毛なディスコミュニケーションに付き合うストレスをこちらが引き受けねばならぬ筋合いはないだろう。
さよならを口にするのは、別離を否定すること、すなわち「今日は別れる振りをしても、どうせ、明日また会うのだ」と言うことだ。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) July 22, 2019
もっと本当の意味でサヨナラしなきゃいけないときがある。
ゆうべはなんだか喉が渇いてたくさん水分をとったから
夜中から明け方にかけて何度もトイレに起きてしまった。
寝室からトイレまでは壁伝い&杖歩行で車椅子は使っていない。とにかく血圧コントロールしていくしかないから、動物性脂肪と塩分、精神的ストレスになる「阿呆を遠ざけて暮らさなければ。
http://www.tama-med.or.jp/news/4015.html
血圧は心拍や呼吸などによって常に変動しています。また身体活動やストレスで大きく変動し、季節変動も見られます。よって、日頃の血圧を知ることは重要です。
しかし、いつもより血圧が高いと心配になり、さらに心配が血圧を上昇させます。
ではどのように血圧が上昇したら、急いで医療機関を受診したほうがいいのでしょうか?緊急性のある高血圧とは高度な高血圧(180/120 mmHg以上)になったら・・・1.高血圧緊急症
高度の血圧上昇(180/120 mmHg以上)があるだけではなく、その高血圧によって脳や腎臓、心臓、網膜などの臓器に急激な障害が進行し、なかった症状が出現している病態のことです。
脳の障害では意識障害、頭痛、悪心嘔吐、けいれん等を伴います。心臓では胸痛、腹痛や息切れなどを伴うものとして、解離性動脈瘤、心不全、心筋梗塞や狭心症があります。致命的になり得る病態のため、高血圧緊急症の症状が出た場合には、直ちに治療を開始する必要があります。迅速な対応が必要な上、重症化しやすいため「入院治療」が原則です。
自身の体験では、要領を得ないメール(クソリプ)処理のストレスによって、数値が跳ね上がった。
リスクヘッジとして、言葉の通じぬ阿呆には関わらぬが吉である。
http://www.kobe-med.or.jp/tarumi/m/kateinoigaku/kouketsuatsu/kouketsuatsu.htm
1)高血圧症とは
収縮期血圧160mmHg以上、拡張期血圧 95mmHg以上の両者またはいずれかを
満たすものをいいます(日を替えて2回以上測定した血圧の平均値で求める)
(2)高血圧がおこる理由
高血圧の90%は<本態性高血圧症>と言い原因不明ですが遺伝的な因子も関与す
るようです。
残りの10%は <二次性高血圧症>と言い腎炎や内分泌異常等によるもので外科的
処置等で完治できる病気も含まれる群です。
(3)高血圧症の症状
症状のない場合が多いですが、肩凝り、頭重感、目まい、動悸、息切れ等の症状が出
現します.
(4)高血圧症の恐ろしさ
高血圧が長引くと動脈硬化が進展し、脳出血、脳梗塞、 狭心症、心筋梗塞、腎不全と
いった生命にかかわる重大な病気を発症します。
(5)高血圧症の治療
(a)食事療法
減塩食(塩分8g/日以下で)、動物性脂肪を控え高脂血症の是正と肥満の改善
です。
(b)運動療法
軽い運動を毎日続けること。出来れば30ー40分の散歩をして下さい.
(c)薬物療法食事、運動療法で十分な降圧が出来なければ、内服薬 が必要です。
最近は副作用の少ない1日1回の服用ですむ薬もでてきているので医師と相談の
上、継続的な治療を行ってください。
話すことができない人間は遠ざけたい。リスクヘッジだ。
https://kotobank.jp/word/リスクヘッジ-657702
広く一般に「危険を避けること」をさし、死亡、事故、失業など、不慮の事態に備えて保険に入ることもリスクヘッジの一種である。株式や外国為替(かわせ)商品などの資産運用分野では、分散投資してリスクを抑えることを意味する。
<
入院中に聴いて心にしみた。 『淋しくないか 一人の夜は 話す相手はいるのだろうか』 そう思うと胸が締め付けられた。『アンダルシアの犬』は、薄雲が月を横切るのを見た若い男が、若い女の眼をカミソリで真横に切り裂くなど、残虐なシーンの連続がセンセーションを巻き起こした。このダリの発想による眼球切断シーンは、バタイユ『眼球譚』と“理性的装置としての眼の破壊”というテーマを共有しているのかもしれない。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 22, 2019
https://business-mail.jp/mail-writing/10615
今どき常識といっていいだろう。そんなことすら踏まえず、他人をメールの特性に不慣れな者のように小馬鹿にした態度をとり、日本語の曖昧性などということをいうのだから片腹痛い。
論点を明確にするってことができない人とは話ができない。
演出というか、美術というかで、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと悔やまれることがある。
絵画に生きるという事も、依然としてこの世界を呼吸する事なのであって、我々は、画家も人間も、文化の土壌の上で、それが自然によって与えられた場合と同じように「自然的に」生きているのだという事を理解しなければならないのである。『世界の散文』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 21, 2019
文章を書くことで考えが整理されるからブログはありがたい。
区役所の用事を片付けるしかなさそうだ。印鑑を忘れないようにしなきゃ。
在宅業務も生産性は半減したし、イベントや児童劇の仕事もできなくなり、収入は激減したわけだけど、病前に比べてさほど家計が逼迫した感じはない。妻の頑張りに感謝だけれど、芝居製作の資金繰りがいかに家計を圧迫していたかってことだ。
の投票に行ってきた。投票所は中学校だったけれど、校庭の土が思いのほか固く、車椅子の車輪が埋もれずに済んだし、入口にはスロープもあって問題なく投票できた。ありがたいことである。
わからないのはアタリマエ。未来の自分に話を聞くわけにもいかない。現状、そういう計画を立てる気分じゃないってことだ。
準備を静かに進めたい。
余計な煩わしさに「立ち向かって」る暇はないんだ。
https://www.sapjp.com/gb/blog/archives/405
「風が吹けば、桶屋が儲かる」は下記の順序で話が展開していきます。
突風で砂ぼこりが立つ
砂ぼこりが目に入り、視力を失う人が増える
三味線を買う人が増える(※江戸時代では、三味線弾きは視覚障がい者の代表的な職業でした)
三味線の皮の材料として猫の皮が必要になり、猫が捕獲される
猫が減るとねずみが増える
ねずみが増えて、かじられる桶が増える
桶の修繕や買い換え需要が増え、桶屋が儲かる
この事象は「因果関係」といわれます。ただし、「視覚を失うほどの突風が吹いているのに、何の対策もせずに外を出歩く人はどれくらいいるのか」「視覚障がい者となった人の全員が三味線弾きを選ぶのか」とひとつひとつの事象について突きつめて考えていくと、1~7に至る実際の因果関係は限りなく低い可能性があります。
そのため、最近ではこの有名なことわざも「可能性の低い因果関係を無理矢理つなげたこじつけの理論」という指摘もあるようです。
逆にいえば、蓋然性の多寡を「あえて」無視して、あるかないかの因果関係をこじつけているところが「冗談」になっているのである。仮に蓋然性が担保されれば成立するだけの論理展開になっているから。
しかし世の中には論理展開がデタラメで、、ヘンな語尾や声色でしゃべるようなことが「ユーモア」だと思っている者も希にいる。まったく的外れである。というより、はっきりいってバカである。
ソシュールの記号学解体作業によって明らかにされた深層の言葉とは、制度化される以前のメロペー(初源的メロディ)、リズム、所作のみならず、夢という言語とも通底する〈動きつつあるゲシュタルト〉である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 20, 2019
たとえば近所の喫茶店は入口に結構な高さの階段があったが、店内はフラットで、多目的トイレではなかったものの、トイレ前まで車椅子移動が可能だったから、さして「問題」にはならなかった。生理現象は計画できないし、こちらは障害があって「急ぎ足」ができないのだから、何につけ時間の余白を大きくとるようにしている。が、大小便あるいは吐き気を催した状態で体幹に力を込め、転倒しないように注意しながら段差を超える作業は、結構キツイ。ドアを開け、狭い入口に身体を通すのも骨が折れる。そうして間に合わず「そそう」したら、店舗ことに飲食店の場合は「大事故」である。なんとか「成功」しても、おもてに「乗り捨て」た車椅子が女子トイレの入口を塞いでしまったりする。単に邪魔になって心苦しいというだけではない。むろん嫌がらせでそうしているわけではないが、だからこそ「問題」なのだ。塞いでしまう、ということは塞がれてしまう蓋然性があるということだ。少しでも自己相対化して物事を考える習慣があれば容易に想像できることである。
であるから、単に理学療法的に段差を超えられる/超えられない、でなく、もっと、いわば現象学的に環境との身体の関係を想像しなきゃいけないのだ。「大事故」のリスクを含む環境であるとあらかじめわかっているなら避けるのが効率的なやり方だろう。何も自らそこに挑む必要などないのだ。
という不随意運動があって、最近、こいつにしばしば襲われて転倒しそうになる。発生が予期できないから恐ろしい。
ラカンは無意識のレベルにおける言語活動に注目し、そこでは丁度夢に見る光景が目まぐるしく変化して特定の意味と繋がらなかったり(置き換え現象)、停止していても複数の意味の重なり合い(圧縮現象)だったりするのと同じように、〈無意識の言葉〉の意味と音の間には固定した絆が無いと言っている。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 20, 2019
古い付き合いになるけれど、こんなにも論理的思考のできない人だったっけ? 問題を切り分けて考えることもできなければ、その必要さえも理解しない。はっきりいってバカの類いである。
https://www.syougainenkin-shien.com/requirement
障害年金をもらうためには以下の3つを満たしていなければなりません。
1. 初診日要件
2. 保険料納付要件
3. 障害状態該当要件
所詮は他人事の気楽さできいたふうに吹聴する。聞き入れなければ被害者面で「排除された」とか、唯我独尊だとか。バカなんじゃないか?
ただ立って歩くという簡単なことがなぜできないのかと映るのだろう。同様に、私の目には、なぜこんな簡単な理屈が理解できないのかと映っているわけだ。それは当人にとっては「簡単」じゃないのだ。そういう思考回路をそもそも持ち合わせていないのだから、ほうっておくしかない。言葉を尽くしても無駄である。どんなに工夫して情報を送ったって受信機がぶっこわれているんだから話にならない。
http://kazutakaimai.cocolog-nifty.com/kazutakaimai/2019/07/post-866bea.html
だから俗説のように「百害あって一利なし」とはいいきれないわけだ。「一利なし」は反証された。
もっとも、メリットに比べてデメリットがあまりに大きいという指摘はされている。にもかかわらず、世の中には、ものごとを単純な善悪の二分法でしか考えられぬ(問題を切り分け(分節化し)て考えられぬ)バカが希にいて、「利」の存在を指摘することを(煙草=善と結論したと曲解する。そしてそれが曲解であると指摘しても理解できない。論点を理解する必要も理解できないのだから話にならない。
こういうバカには関わらぬが吉である。言葉が通じないし、疲れるだけだ。
にくわえて脚のつっぱり。クローヌスも出て、歩行はもとより、長い時間立っていられない。
が出た。お盆休みもない状態。自由業にとってはありがたい話なのかもしれないが。しんどいな。
マルクスは労働を「人間による自然との新陳代謝」と定義づけこの過程で「自然の素材は形態変化によって人間の欲求に適応し労働は主体と一体化する」と述べた。彼は自分が「生理的に語っている」こと労働と消費は生物学的生命の永久に続く2つの段階に過ぎないことを示したのだ。(『人間の条件』13)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 20, 2019
ことごとく的外れなリプライにうんざり。
基づくくだらん自己満足のために不要な干渉をされるのはまっぴらなんだ。
ということだけが分かっている状態で言葉を費やすのは虚しい。
我々は身体によって世界に臨んでおり、身体でもって世界を知覚する以上、我々に現れるがままの世界の経験を、再び目覚めさせなくてはなるまい。しかし、こうして身体ならびに世界との触れ合いを取り戻すことによって、我々がやがて再び発見するもの、それもまた我々自身なのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 20, 2019
2018年冬に病室で聴いたラジオを改めてYouTubeで聴く。後遺症を媒介にして時間は今に地続きで繋がっているものの、あの日々を少しは「過去」として振り返れるようになった。
の発生は事前にわかりはしないから、そのリスクは常に織り込んでおかないと。
人間が活動する能力を持つと云う事実は、本来は予想できない事も、人間には期待できるという事、つまり、人間はほとんど不可能なことをなしうるということを意味する。(『人間の条件』24)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 19, 2019
勝手な決めつけで的外れな結論づけをしているから「失礼」だというのだ。言葉遣いの話なんかしていない。
が、長すぎても短すぎてもいけないんだな。
に入るのもいちいち一苦労だぜ。まったく。
が、チクチク痛む。
無理矢理歩くわけで、体幹に余計な負担がかかることはわかりきっている。それが原因で胃が圧迫されて吐き気を催したりもするのだ。
といいたくなるな。5W1Hがわからんといっているのだ。日本語の曖昧性などとは次元が違う。
周辺で、トイレを借りられるスーパーをひとつ見つけられたのはよかった。なかなか難度の高いトイレでは会ったけれども、スーパーに長居するわけじゃないし。置き去りにされる車椅子の管理は妻にお願いした。この場合、それでいい。その後に銀行の用事を済ませた。
難儀なのだ。ひょいひょいと移動できないから。
そんで、やっと受話器を上げれば共産党だったりする。がっくりきてしまう。電話帳にも載せてないのに。
https://www.nenkin.go.jp/faq/jukyu/kokunen-kyufu/shougai-kiso/20161114.html
障害年金の対象となる病気やケガは、手足の障害などの外部障害のほか、精神障害やがん、糖尿病などの内部障害も対象になります。
病気やケガの主なものは次のとおりです。
1.外部障害
眼、聴覚、肢体(手足など)の障害など
2.精神障害
統合失調症、うつ病、認知障害、てんかん、知的障害、発達障害など
3.内部障害
呼吸器疾患、心疾患、腎疾患、肝疾患、血液・造血器疾患、糖尿病、がんなど
車椅子で往復。以前は月に一度、医者に行くのにこの程度の移動はあったが、かかりつけ医が変わったから久しぶり。スーパーでトイレを借りる。が、なかなか「難しい」トイレだった。帰りにファミレスで夕飯。ここは車椅子用のトイレがあってありがたい。
飲み過ぎるのもよくないな、とは思いつつも、どうしても手が伸びてしまう。
をつけることで歩行が楽になるとか、感じたことがないんだが。
僕は健常者が1分もかからない動作に5分以上かかります。
— ちん♿️車椅子Youtuber (@suisui_project) July 18, 2019
ズボンの履き替えhttps://t.co/IGf07W5x2C
ベッドから車椅子への移乗 https://t.co/cOfCsCwrF9
靴下と靴を履くhttps://t.co/krIqAdm15S
それぞれ動画にまとめているので日常動作に時間がかかるということ知っていただけると嬉しいです😊
退院して自宅に戻り、まずやってみたことは、クッションのあるとこで重力に身を任せてハデに転倒することだった。過剰に恐れてその回避に常に努めてきた事態をそのようなやり方で「克服」してみたかったのだ。
感覚の有無と、動く/動かないとは別問題で、一方が一方の上位概念てわけじゃないんだ。そこんとこがぜんぜん理解されないな。感覚があるのだから動くはず、ってなもんじゃないんだよ。
https://kotobank.jp/word/感覚障害-469335
知覚の異常や感覚の鈍麻など感覚神経の異常反応を生じる障害。触覚、痛覚、温度覚、振動覚、位置覚など感覚の鈍化、痺れや痛み、筋力・統制力の低下を生じる運動感覚の失調や逃避反射の喪失などが症状とされる。
https://kotobank.jp/word/運動障害-212942
手足や体幹,顔,眼球,のど,首などの随意的な運動がうまく行えなくなった状態をいう。 [末梢性運動麻痺] 随意的な運動を営む最終的な効果器官は随意筋,すなわち骨格筋であるが,その収縮は脊髄や脳幹にある運動ニューロンとそれから出る軸索によって支配されている。そこで,この運動ニューロンとそれによって作動する骨格筋からなる単位を最終共通経路final common path wayという。この最終共通経路の病変によって生じるのが末梢性運動麻痺であり,麻痺した筋肉はつねに緊張が低下し,高度に萎縮する。
https://hanabi.walkerplus.com/detail/ar0313e00881/
2019年9月7日(土)開会式:18:00(予定)、 打ち上げ:18:30~19:30(予定)
が出て、請求書のフォーマットに作業予定を書き込んだ。と、意識はもう夏を過ぎて年末に傾いている。
絵は絵なのであって言葉ではないという理由で、画家の探求に含まれている方法的なものを無視するようなことがあってはならない。『世界の散文』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 18, 2019
ということをそのおかしな文章を書いた当人に理解させるのは容易なことじゃない。そもそもそれが理解できない語感の持ち主であるから、日本語としておかしい文章を書いてしまっているわけだ。
https://www.bikkuri-donkey.com/shop/detail.html?sh=1103&pref=gunma&equipment=2
群馬県太田市飯塚町2039
電話番号
0276-46-8989
と距離から店を絞り込むが、バリアフリー的に無理だったりするなあ。
図面をひいて道具や建物を作る、生殖とは必ずしも関係の無いエロティシズムを楽しむ、革命や同類殺しや自殺をする…、このような動物の生み出した文化は、良い意味でも悪い意味でも自然をはみ出した過剰物であり、想像力・想像力の源としてのコトバの存在なしには考えられない。-ホモ・モルタリス-
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 17, 2019
は欠かさずに飲んでいる。
を近所のスーパーでゲット。珍しい。家でジンギスカンができる。
を流すことができないから、悲しみが胸のあたりにわだかまり、凝固してしまう。
せめてわかってないことを自覚してくれ。
我々の眼差しは肉体の開かれた口であり、それは万人共通の世界の肉によってただちに満たされるという事実―――したがって、生きた身体は世界の上に押しかぶさり、見る身体、触る身体となり、いわんやおのれ自信に感じられる身体となるという事実、一切はそこから由来するのである。『シーニュ』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 16, 2019
https://pathologycenter.jp/presen/17th_jiins/17th_jiins2.html
中枢神経と末梢神経の違いについて説明します。中枢神経系は大脳、脳幹、小脳、脊髄で構成され、そのうち大脳、脳幹、小脳をひとまとめに脳と言います。従って、中枢神経系は脳脊髄とも言い換えることができます。また、脳脊髄から出る枝ともいえる線維を末梢神経と総称します。大脳、脳幹から左右12対の脳神経が出て、脊髄からは左右31対の脊髄神経が出ています。
雨だと選挙会場の校庭の土で車椅子の車輪がぐちゃぐちゃになってしまうから、区役所で期日前投票するのがいいのだが、タクシーチケットの残りが少ないからそれも躊躇われる。
手足がくっついているみたい。重くて難儀だ。本来の持ち主のところへ帰れ!
した。今日は深夜作業の日だから。チラシのいわゆる「店まき」してる夢を見た。製作をほぼ終えて、小屋入り前に情報宣伝の追い込みとしてよく下北沢なんかでやったものだ。歩き回ってヘトヘトになったのも懐かしい。
外出時にスリングをつけるのは、肩の痛み対策というよりむしろ、この腕が使い物にならぬというをことの他者に示すため、すなわちいわばシグナリングの意味が大きい。
は7月9日付で済んでいるから、10月9日が回答期限だね。3ヶ月ってことは。
身体を失ったのだから、まっとうな知覚も同時に失ってしまったのだ。メルロポンティの現象学的な意味で。
我々がおのれの身体でもって知覚する以上、身体とは自然的な自我ということであり、いわば知覚の主体である。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 16, 2019
月に一度、診察を受けに行ってたが、次に行くのは9月の予定。ずいぶん間があく。
ひどい後遺症が残るとは思っていなかった。
メッシュの板を買わなくちゃ。あと、区役所での手続き。散髪。
といったら少しキザでセンチメンタルかな。残尿感とでも表現した方がふさわしいのかも知れない。
https://medicalnote.jp/contents/150610-000004-PNNCLG
脳卒中における脳損傷が同じように起こっても、左脳と右脳には違った症状が現れてきます。 右脳は、私たちヒトが全体のバランスをとるための役割を果たしています。すなわち、右の脳がやられてしまうと、全体のバランスを取ることができなくなってしまうのです。全体のバランスが取れなくなると、本能的に色々なものごとに固執してしまうようになります。「これはダメですよ」と言ってもそれを止めることができず、衝動を抑制することもできず、学習することもできないため、何度注意しても同じ失敗を繰り返してしまいます。このため、中等度以上の右脳損傷の患者さんの治療は難しいと言えます。これを右半球損傷による劣位半球症候群と呼びます。 それに対して、左脳は計算や言語分野など、非常に高次で、限局的な機能を備えています。それゆえ、左脳が障害を受けてしまうと、言語障害(失語症)や失計算、失書などが起こります。このために、左脳に障害を持った患者さんは重症だと思われがちですが、右脳に障害を受けた患者さんと違い、全体のバランスは保たれています。そのため、左脳損傷の方は右脳損傷の方と対照的に、「学習」ができます。 言語障害は起こってしまうため、言語能力の低下は認められますが、非言語的な学習はできます。ですから、左脳に障害を持っている患者さんの方がリハビリテーションによって回復しやすいといえるでしょう。しかし、大脳が広範に損傷された場合は、左右に関わらず、重度な高次脳機能障害が生じ、回復は容易ではありません。
靴を履き替えるってことができないのだ。
足首を動かすことができないから。難儀である。それでまた行動範囲が限られる。
私の意識はまず世界に向い、物に向っており、それは何よりも<世界に対する態度>です。<他人意識>という物もまた何よりも、世界に対する一つの行動の仕方です。そうであってこそ初めて私は他人の動作や彼の世界の扱い方の中に<他人>という物を見つけだす事ができるわけです。『幼児の対人関係』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 16, 2019
こんな遅い時間まで仕事、「仕事」といってもアーレントいうところのワークでなくジョブである。それも児童劇やイベント台本書きなどのワーク寄りのジョブではなく、家計のための純然たる「お仕事」だ。
夢の中で目にした言葉。どういう意味なのだろう?
文さんのこの妄言を聞いて呆れる。1965年の日韓条約で解決済みの問題を悉く蒸し返して、両国関係発展の歴史を「逆行」してきたのはまさに彼らの方だ。自分たちの悪行を全部棚上げにして日本側の至極当然の措置を批判してくるとは盗人猛々しい、半島国家伝統の厚顔無恥だ!https://t.co/0bdfJatGt8
— 石平太郎 (@liyonyon) July 15, 2019
https://www3.nhk.or.jp/news/special/sakusakukeizai/articles/20190701.html
まず、韓国に対して、安全保障上の友好国に与えている輸出管理の優遇措置を見直すんだ。
日本が優遇措置を与えている国は「ホワイト国」と呼ばれている。外国為替法に基づいて、相手国との輸出が適切に管理できているとする国を経済産業省が政令で指定している。
「ホワイト国」は現在、アメリカやイギリスなど27か国にのぼっている。「ホワイト国」に指定されれば、安全保障上の脅威になるような先端技術などを輸出するときに優遇措置を受けて手続きが簡単になる。
韓国は2004年に指定されたんだけど、経済産業省は政令を改正して韓国を外す方針で7月24日まで一般に意見を募ることにしている。
日本はこれまでホワイト国の指定を見直したことはなく、韓国が除外されれば、初めてのケースとなるんだ。
染み込んだモノを大量に処分せねばならなかった。その瞬間、さすがに泣くかな? と思ったが泣かなかった。というか、泣けなかった。自律神経もどこかバグっているらしいのだ。
http://keiei-manabu.com/economics/consumer-surplus.html
消費者余剰は、「買い手が買ってもいいと思っている値段から実際に購入できた値段を差し引いた際に残る金額」を意味します。この概念を理解するためのキーワードが「支払許容額」です。これは「買ってもいいと思っている値段」を指します。私たちは買い物をするとき、この支払許容額よりも実際の値段が低ければ購入しようとし、高ければ買いません。支払許容額と同じ値段だった場合は、買うか買わないかを迷います。<どうして迷うのかを経済学では「買って財を得るのと、買わずにお金を残すのとは同じ価値だから」と説明します。以下で具体的に見ておきましょう。
【例題1】ジミヘンドリックスの使用したモデルのギター(ストラトキャスター)が1本あります。
それを欲しいと思う人が、AさんとBさんとCさんとDさんの4人います。
Aさんは5万円までなら払えると考えており、Bさんは4万円までなら払えると考えています。Cさんは2万円まで、Dさんは15000円までと決めています4人同時に店主に値段を聞いた所、彼は「5000円からスタートでオークションをしよう」と言いました。<解説>この時の支払許容額は以下の通りです。A:5万円 B:4万円 C:2万円 D:15000円000円でスタートすると、全員がまだ支払許容額に余裕がある上、買い手間での競争があるので価格は釣り上がっていきます。しかし、Aさんが4万円を提示した瞬間、残りの3人は購入できなくなります。すると、必然的にギターはAさんのものになるので、Aさんは支払許容額よりも1万円やすくストラトキャスターを手に入れられます。この状況を「Aさんは1万円の消費者余剰を得た」といいます。では、これをより大きな規模で見てみることにしましょう。【例題2】
オークションが始まる段になって、店主は「ちょっと待ってくれ。確かこのギター、同じのがもう1本あるんだ」と店の奥から全く同じ状態の、全く同じギターを取り出してきました。「さあ、これも含めてオークションをしよう」店主はそう言いました。<解説>事態の複雑化を避けるために、「2本とも欲しい」というコレクトマニアはこの4人の中にはいないこととします。であれば、このオークションはAさんかBさんのどちらかが2万円を提示した時点で終了します。このときBさんは2万円の消費者余剰を得、Aさんは3万円の消費者余剰を得ます。これを個人レベルではなく市場規模で見ると、「市場の総消費者余剰は5万円である」と言えます。仮にギターが3本あれば、ギターの価格は15000円で決定し、AさんとBさんとCさんがそれぞれ消費者余剰を得るので、総消費者余剰は65000円です。もしギターが4本なのであれば買い手間の競争は起きず、誰も価格を釣り上げようとは思わないので、スタート価格の5000円でオークションは終了し、総消費者余剰は11万円となります。
は、今日はパスする。しんどい。
したい。さもないと身体にカビが生えてしまいそうだ。
見た景色の記憶と、夢で見たそれとはよく似ているように感じる。
ラカンは無意識のレベルにおける言語活動に注目し、そこでは丁度夢に見る光景が目まぐるしく変化して特定の意味と繋がらなかったり(置き換え現象)、停止していても複数の意味の重なり合い(圧縮現象)だったりするのと同じように、〈無意識の言葉〉の意味と音の間には固定した絆が無いと言っている。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 15, 2019
我々の眼差しのもとでの、または我々の手元での感性的与件の展開は、言ってみれば自ら自己を教示する言語のようなものであって、ここでは意味は標識の構造それ自体によって分泌される。そういうわけで、人は文字通り我々の感官が物に問いかけ、物が感官に応える、ということができる。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 15, 2019
ブルートゥースで入力
は確かに理解されづらい。「甘え」であるとか「手抜き」であるとかの物語に回収されてしまう。まあ、ある程度は仕方ない。わかってくれとは言わない。せめて、わかりもしねえくせにきいたふうな干渉をしないでくれ。鬱陶しい。
マンションの総会議事録が届いたが、封筒から書類を取り出し、また戻す、たったそれだけのことが困難なのだ。情けない。
少し仕事をしたりすると
胸がざわついて、つい、コーヒーと煙草に手が伸びてしまう。それで落ち着くと思うのは「錯覚」に過ぎないという話もあるが、錯覚だろうが何だろうが、実際、身体がそれを欲するのである。
投稿がうまくいかない。ダメなやつである。諦めよう。
スマホから記事投稿を試みた。とりあえず、できたのでよかった。
投稿。できるかな?
それは〈現実界〉的対象の最も正確な定義だろう。それ自体は存在せず、一連の効果の中にのみ現存するが、つねに歪められ、置き換えられてあらわれる、ひとつの原因である。〈現実界〉が存在不能だとしても、効果を通してその不可能性を捉えなくてはならない。(『崇高』p304)
— 哲学・精神分析とジジェク (@looking_awry_) July 15, 2019
世界には私たち〔ヨーロッパ人、大人、そしておそらくは男性〕だけがいるのではなく、世界は動物、子供、未開人、狂人にも開かれています。彼らは自分たちなりのやり方で世界に住み、彼らもまた世界と共に実存しているのです。『知覚の哲学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 14, 2019
メアリー・ランバート監督作品、好きな映画なのだがDVD化されてない模様だから、ビデオテープをPCに取り込んだ。めっちゃ時間かかる。
飛び飛びにだけれども久しぶりに眺め直して、やっぱりいい映画だと思う。
をリストアップしてひとつずつ潰していく。
思いつきや自分の意思だけでは行動できないのだ。
もちろん、深層の言葉が言葉である限り非連続的な〈差異〉であることを免れないが、表層の言語内の〈差異〉との根本的な違いは、二分された〈図と地〉が二項対立として固定されることなく、絶えず新たな〈形〉へと動いている点にあり、これが〈コードなき差異〉と呼ばれる所以である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 14, 2019
ありふれた悲劇なのである。
脚は股関節からしか、腕は肩からしか持ち上がらない。相変わらず膝や肘の曲げ伸ばしはできないのだ。まったく不自由である。それでも入院中の監視を思えば、環境はかなり自由で人間的になった。
眼差しは存在のあらゆる種類のヴァリエーションを呼び起すものなのだ。『世界の散文』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 14, 2019
倉庫整理していた。くたびれた。どうせ夢ならもっとハッピーなのを観たい。
馬鹿げた主張をなんとか好意的に解釈してやるストレスを負担する筋合いはないのだ。
http://www.kanazawa-med.ac.jp/~hospital/2012/12/-9.html
従来の脳卒中リハビリは、障害のない側の手足などを訓練し、日常生活動作を改善するという考え方でした
つまりハナから「良くならない」ことが前提だったのだ。
医者に行くのは夏の終わり。しばらく間があく。
ア・プリオリなカテゴリーは生得観念ではない。正常な――健康な――子供が両親から遺伝するのは、カテゴリーでも観念でも概念でもなく、学習し観念を抱く能力、それをもつ者を人間として行動させる能力、すなわち行為する能力をもつ人間精神である(L・ミーゼス)
— 経済思想bot (@historyofecon) July 13, 2019
「神」とは私の内なる、過去、現在、未来にまたがる「おぞましいもの」への恐怖である。あまりのおぞましさに私は、それが嘗てあり、現にあり、未来もあることを必死で否定し、否定することを力一杯叫ばずにはいられない。しかしこれは本心からではない。『聖なる神-わが母-』
— ジョルジュ・バタイユ (@G_Bataille_jp) July 13, 2019
出身校の受験偏差値が自尊心の支えだなんてみっともないったらありゃしない。
タバコの葉に含まれる有害物質「ニコチン」に、脳神経細胞の再生を促す効果があることを、金大医薬保健研究域薬学系の米田幸雄教授らの研究グループが23日までに確認した。動物の脳細胞にニコチンを加えると、神経細胞ができる割合が増加した。研究グループによると、人間に適用できれば、アルツハイマー病など、神経細胞の脱落に起因する病気の予防、治療法開発につながる可能性があるという。
を思いついてしまった。戯曲を書くということとそれを演出するということは、分担をきっちり線引きできるものじゃなく、ウロボロスの蛇のように互いに呑み込み合うの関係なのだ。小劇場の多くが「作・演出」というスタイルを採っているのは偶然じゃないし、単に利便性からではないのだ。
「快感原則に従う一次過程」にある言葉は必ず「現実原則に基づく二次過程」へと拘束され、物象化される種をその発生時から宿しているし、二次過程に移行した言葉はまた絶えず一次過程へと回帰していく円環運動の中にある。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 13, 2019
言語は思惟の「記号」(signe)ではない。言葉と思惟とがいずれも主題的に与えられている場合にのみ両者の間にこのような外的関係が成り立つであろうが、実は両者は相互に他方の中に含まれているのであって、意味は言葉の中に嵌め込まれ、言葉は意味の外的実存なのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 13, 2019
全体主義的権力の持ち主達は他の全ての人間と同様自分も無用であることを信じている。また全体主義の刑吏たちがあのように危険であるのは、単に生きようが死のうが構わないというだけでなく、この世に生まれて来ても来なくても自分には同じだったと彼らは思っているからである(『全体主義の起源3』)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 13, 2019
爪を切ってもらった。散髪にも行かなくちゃ。そのうち、爪も髪も伸びなくなるのだろう。刻々と死んでいっている。
ソシュール=丸山の〈コードなき差異〉:ソシュールが五段階にわたって行った〈西欧形而上学の記号学〉解体の結果明らかにされた、言語=意識=身体の深層に見出される〈差異〉のこと。表層意識において実体視される〈コード化された差異〉以前の差異。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 13, 2019
山田勇男監督のDVD『光の韻律』を購入。以前、お目にかかったときに話題に出た作品を鑑賞。大いに刺激を受ける。
久しぶりに湯船に入った。ここのところ、クローヌスが出て危ないからシャワーだけにしてたんだ。
生の円環運動を持続させるためには、自我に風穴をあけ、自らの内なる他者と絶えず対話を交わさねばならない。[…]ルソーが作曲したと言われる童歌の叡智にならって「結んで開いて/手を打って結んで/また開いて手を打」ちながら、心の奥の欲望を解放しつつ制度へと立ち戻る永続的運動が望まれる。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 13, 2019
人間を人間たらしめるのは活動と言論の創始(イニシアティヴ)である。こういうことは、他の行為(労働と仕事)については言えない。(『人間の条件』24)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 13, 2019
幼児の経験する時間、速度といったものを、我々の時間、空間等々…の未分化(indifférenciation)として、理解する権利が我々にはあるだろうか。こんなやり方は、諸現象を尊重しようと努める傍で、幼児の経験を我々の経験に均すことにほかならない。『見えるものと見えざるもの』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 13, 2019
のCDを聴く。池袋へライブを観に行ったことが思い出されるが、あれはいつのことだったろう?
ノートPCを運んだ。健側の手が塞がるわけで、必然的に杖なし歩行となる。わずかな距離だけれども、これができるとできないとじゃエラい違いなのである。
「事実」の認識には否応なしに主体の価値判断が含まれるというのは現象学的にそのとおりだろう。その上で「だから、自身にとって自明と思われる眼前の事象が、じゅうぶんな客観性を備えているか」に慎重になり、自己相対化に務めるか、「価値判断が含まれて当然」なのだから、と開き直って偏向を正当化するか、「ジャーナリスト」のタイプが大きく二つに分かれるように思われる。
はもはや意思伝達のための器官の一部と化している。これを奪われると非常に困る。
常に身体が私の側に存続しているということ、つまりその不変のパースペクティヴは、事実上の必然性ではない。なぜなら事実上の必然性こそ、かえってこれを前提とするのだから。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 12, 2019
でした。28回目の。特に何をするわけでもないが。結婚した当初、まさか自分にこんな悲惨な「未来」が待ち受けているとは想像だにしなかった。妻に対して申し訳なさでいっぱいだ。
によって何とか起動した。メインPCより。
困ったことだ。これはノートPCから。
俗に、電話の切り方が乱暴なこと。通話の相手がまだ話しているにもかかわらず、がちゃんという音を立てて受話器を置き、電話を切ってしまうこと。
若林さんは女店長に怒られてよかった。それが無礼な行為であると若い内に知ることができたのだから。これは電話という機械を介しての会話に限らない。単に「がちゃんという音」が問題ではないからだ。
いい年こいてそんなことすらわからず、自分の欲しい情報を手に入れたら一方的に次の話題に移るのが「自然」な会話のありようだと思っている者がいるのだ。そんなのが利いたふうに劇のリアリティを口にするのだから片腹痛い。
0276-46-1264
群馬県太田市飯田町1370
でした。特に何をするというわけでもないが。
偉大な詩人の作品は、いまだ人間によって読み解かれてはいない。なぜなら、それができるのは、偉大な詩人だけだからだ。大衆はその作品を、最良の場合でも、天文学者ではなく、占星術者が星を読むように読むのだ。[映ポ]
— Andrei Tarkovsky (@TarkovskyJP_bot) July 12, 2019
帰省するための金を今からちょっとずつ貯めなくちゃ。宿代と食事代それからタクシー代がきっとかかる。
ニーチェ、バタイユ、ブランショにとって、経験とは、〈生きることが不可能なもの〉に最も近いような生の地点に到達しようとすることだった。求められているのは、最高度の強度であると同時に、最高度の不可能性だった。-M・フーコーとの対話-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) July 12, 2019
人生を生物学的生命が生きている。
第一の狂気[=カオスに閉じ込められた停滞・閉塞状態]は〈言分けられた身〉を持つはずの人間にとっては自らの存在を否定する最悪の状態であり、生物学的生命さえ脅かされる。これは一言でいえば〈言葉の宇宙〉からの排除である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 12, 2019
に行かないと、いい加減鬱陶しいのだけれど、これまた一苦労なのである。困ったもんだ。
旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むのであれば話は別ですけどね。(『記号と事件』)
— deleuzebot (@deleuzebot) July 12, 2019
エロティシズムはフロイトが考えたような欲動そのものや自然的欲求の中にあるのではなく、これがイメージ化され欲望となったときに生ずる、“言葉の産物”に他ならない。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 12, 2019
そのことじたいが煩わしい、というのは、そう理解の難しい心の動きではなかろう。
しかしそれが分からぬのだから話にならない。
いくら自己相対化せよといっても無駄である。自己相対化もまた手段であって目的ではない。
ストリートビューで故郷の町を散策。
ほんの二年前、芝居の取材でそこを訪れ、ガンガン歩き回った。もう二度とできないことだ。不思議な気持ちである。
たとえばメルロポンティは次のように言う。
話している時には、私は、自分のなすべき諸運動を表象するわけではない。ちょうど私の手が、私に差し出されたものを取るためにひとりでに動くように、私の全身体的装置が、語に追いつき語を発語しようと集まるのである。
その時間の音声化されない言葉の描写が劇における「間」というものである。演出家が恣意的に設定する「空白」ではない。そんなことすらわかりもせずに、説明すれば「弁解」と曲解し「何もない」などと上から目線できいたふうなことを抜かす自意識の肥大した者があるが片腹痛い。
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肩関節ももちろん痛いのだけど、肩から野球のバットでもぶら下げてるみたいで重く、それを支える肩の筋肉も痛むのだ。
これが全体主義国家へ向けた人々の「隷従の道」である。ハイエクは、これを断ち切るために「設計主義的合理主義」に基づいた国家による包括的な計画経済政策を破棄すべきだと主張する。
— 思想史たん (@shisoshi_tan) July 12, 2019
むやみに掴まないでくれ。バランスが取りにくくなるだけでまったく「助け」になってない。ばかりか、亜脱臼の肩が痛む。おまけに、傍らに立たれることで足の運びが阻害されるんだ。不要な干渉はよしてくれ。
事前に行動を計画し準備するために欲している情報を出し渋るそのレスポンスの悪さこそが「障壁」なのだ。
人間の存在というものは、狂気なしには理解され得ないばかりでなく、人間がもし自らの自由の限界としての狂気を自分のうちに担わなかったら、それは人間の存在ではなくなってしまうだろう。(ラカン『エクリ』)
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 12, 2019
私がそういうのは、単にペンを持って文字を書くだとか、パソコンのキーボードを打つだとかのことじゃない。
たとえばメルロポンティは次のように言っている。
話している時には、私は、自分のなすべき諸運動を表象するわけではない。ちょうど私の手が、私に差し出されたものを取るためにひとりでに動くように、私の全身体的装置が、語に追いつき語を発語しようと集まるのである。
この私の手は、しかしもはや「私に差し出されたものを取るためにひとりでに動く」ことはない。そうした運動機能の喪失は、だからモノカキにとって広義の失語症といえるのではなかろうかと思うのだ。
かつて私は、登場人物が会話しながら日常動作を並行させるシーンを多く書いた。今思えば至極高次脳機能に依存した身体所作である。それらを書くことはもはや容易ではない。そういうことだ。
煩わせることが煩わしい、というのが、そんなに理解しづらいことか?
そんなことより困るのは、、情報の不透明さ、質問に対するレスポンスの悪さ。
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以前だったら駅前に白木屋でもありゃ、ひとまず安心、てなもんだったが、車椅子だとそう簡単じゃない。バリアフリーというと、入口の段差ばかりが問題視されがちだが、そういうもんでもない。店内のスペースや床のつくり、トイレも大問題だったりする。
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なんて必要ない。フツーに論理的な思考ができれば分かる話だ。それが理解できないんだから、「フツーに論理的な思考」ができないってことだよ。
https://medicalnote.jp/contents/150610-000004-PNNCLG
大脳の運動野や錐体路の神経線維がある程度以上に冒された場合は、その反対側に麻痺が起こります。脳卒中の場合だと、脳損傷と反対側の片麻痺(片方の手足が麻痺すること)となることがほとんどです。これは上下肢の運動神経が延髄で交差するためで、延髄より上位での脳損傷は対側に片麻痺を生じます。一方、運動神経のすぐ背側に感覚神経が走っているために、片麻痺がある場合は、痺れ・感覚鈍麻などの症状を伴うことが多くみられます。
特に、感覚神経の深部感覚障害では体のバランスがとりにくくなり、重い後遺症を残すことにつながります。
帰省するための情報収集。
思い出されるのは2017年の年末。一時帰宅の要望を出すも認められず、病院での年越しとなったのだった。今さら恨みがましいことをいうつもりはないけれども、的外れな「リハビリ」で、俗にいう「半年の壁」までの貴重な時間を浪費し、取り返しのつかぬ事になったとは思っている。
https://tabelog.com/gunma/A1002/A100203/10003574/dtlratings/
懐石・会席料理、割烹・小料理
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のDVDをようやく購入。レンタルを探していたのだけれども見つからなくて。VHSのビデオは持っているのだけど、デッキもそろそろあれだし、綺麗な映像で観たいから。
https://www.smbcnikko.co.jp/terms/japan/si/J0610.html
需給ギャップとは、一国の経済全体の総需要と供給力の差のことで、GDPギャップとも呼ばれます。総需要は国内総生産(GDP)と同じで、供給力は国内の労働力や製造設備などから推計されます。
需給ギャップがマイナスになるのは、需要よりも供給力が多いときで、企業の設備や人員が過剰で、物余りの状態になります。これをデフレギャップといいます。逆に、供給力より需要のほうが多いとプラスになり、物価が上がる原因になります。これをインフレギャップといいます。需給ギャップは市場メカニズムがうまくいっていないときに大きくなり、それを解消するためには、政府が景気刺激策などで需要を調整する必要があります。
で、30年前の記憶を頼りに、故郷の駅前を散策。
https://tabelog.com/gunma/A1002/A100203/10005066/
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哲学は、完成したもののなかでは退屈してしまいます。哲学とは表現することであってみれば、表現されるものとの合一を放棄し、表現されるものの意味を見んがためにそれをおのれから遠ざけることによってのみ、自己を完成するわけです。『哲学をたたえて』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 9, 2019
http://hokkaitei.com/index.php?id=47
Tel 0276-48-5549
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群馬県太田市浜町13-24
営業時間
[金~水]
17:30~23:00(LO22:30)
日曜営業
定休日
木曜
くるりの「ばらの花」を聴く。と、急性期病棟に入院してた頃を思い出す。当時、どういうわけか頭の中で、しばしばこの曲が鳴っていたから。実際に聴いていたというわけではないのだけれど。記憶の結びつきって奇妙なものだなと思う。
原因ではないのに、誤解(勝手な思い込み)に基づいて、利いた風な干渉をしてくるのが多くて困る。決まって彼らは動機の純粋性を理由に自己正当化するわけだが、はっきりいって迷惑である。
太田駅周辺の地図を眺めている。記憶の中の町並みとすっかりかわっている。おまけに車椅子ときてる。しかしまあ、案ずるより産むが易しだろう。そんなド田舎ってわけじゃないし。路頭に迷うことはない。
https://tabelog.com/gunma/A1002/A100203/10007710/
0276-48-8080
住所
群馬県太田市飯田町1398-1 パールホテル3F
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東武伊勢崎線太田駅南口から徒歩1分
東北自動車道・館林ICから40分、約20Km 北関東自動車道・太田桐生ICから20分、約6Km
太田駅から126m
営業時間・
定休日
営業時間
11:30 ~ 23:00 L.O. 22:30
ランチ 11:30~14:30(LO.14:00)
ディナー 18:00~22:00(LO.21:30)
日曜営業
定休日
年中無休
https://shinobu-ya.com/ota/?utm_source=google_map&utm_medium=map
〒 373-0851 群馬県太田市飯田町1198
電話番号
050-1705-3225
営業時間
17:00〜24:00
月~木 17:00~翌1:00 (L.O.24:00、ドリンクL.O.24:30) 金・土・祝前日 17:00~翌2:00 (L.O.1:00、ドリンクL.O.1:30) 日・祝日 17:00~24:00 (L.O.23:00、ドリンクL.O.23:30)
定休日
年中無休
https://www.hotpepper.jp/strJ000705931/
群馬県太田市飯田町1366 太田駅南口向かって右へ徒歩5分。太田グランドホテル様すぐ横
0276-45-6850
火~日、祝日、祝前日: 18:00~翌1:00 (料理L.O. 翌0:30 ドリンクL.O. 翌0:30)
ディナー:火曜~日曜(17:00~翌1:00)
定休日:月
http://www.e-map.ne.jp/pc/index.htm?cid=domadoma&kid=0183102
住所
http://www.atom-corp.co.jp/brand/shop.php?shop_no=1195
住所
〒373-0852
群馬県太田市新井町377-18
TEL
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アクセス
太田駅より車で10分
定休日
年中無休
営業時間
【ランチタイム】 11:00〜16:00
【ディナータイム】 16:00〜22:30(L.O 22:00)
※金・土・日・祝
【ランチタイム】 11:00〜16:00
【ディナータイム】 16:00〜23:00(L.O 22:30)
※GW・お盆・年末年始などの期間では、平日であっても金土日祝の営業時間にて営業する場合がございます。詳しくは店頭にてお知らせ致します。
駐車場
あり
http://keiei-manabu.com/economics/consumer-surplus.html
これは「買ってもいいと思っている値段」を指します。
私たちは買い物をするとき、この支払許容額よりも実際の値段が低ければ購入しようとし、高ければ買いません。
支払許容額と同じ値段だった場合は、買うか買わないかを迷います。
どうして迷うのかを経済学では「買って財を得るのと、買わずにお金を残すのとは同じ価値だから」と説明します。
身体に付与された重要性、性愛の諸矛盾は、私の身体の形而上学的な構造、つまり他人にとって対象であると同時に、私にとって主体であるという構造に基づくいっそう普遍的なドラマに結びついているのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 8, 2019
http://www.sunfood-don.com/02izakaya.html
【住所】群馬県太田市飯田町886
【電話】0276-46-8019
【定休】年中無休
【営業時間】
日曜日〜木曜日
PM5:00〜PM12:00
金曜日・土曜日・祝日前日
PM5:00〜AM1:00
https://travel.dmkt-sp.jp/hotel/3261003/photos/
http://agora-web.jp/archives/2032721-2.html
朝日新聞や外務省懇談会は「原発の比率を大幅に引き下げ、再エネの比率を更に引き上げるべき」、「再エネを中心に26%目標を更に引き上げるべき」と主張しているが、こうした議論に致命的に欠けているのはコスト感覚である。エネルギー基本計画案のインプットとなったエネルギー情勢懇談会提言では「経済的に自立し脱炭素化した再生可能エネルギーの拡大を図る中で、可能な限り原子力発電への依存度を低減する」とされている。翻って現在の再エネはFIT補助金に依存し経済的に自立しておらず、化石燃料火力によるバックアップを必要とするという意味で脱炭素化電源ともいえない。こうした課題をかかえているからこそ、原子力や化石燃料とのベストミックスが必要になるのである。 日本のエネルギー安全保障、温室効果ガス削減にとって現時点で最も費用対効果が高いのは停止中の原発の再稼働であることは明らかだ。原発再稼働を排除する一方、安価な石炭火力も排除して、ひたすら再エネを拡大すれば、行きつくところは電力料金の大幅な上昇である。再エネ関連産業は裨益するかもしれないが、産業のコメともいうべき電力のコストアップは日本経済全体にとって大きなマイナス要因となろう。日本経済が疲弊すれば結果的に温室効果ガス目標も達成できるかもしれないが、そのような解は反成長論者でもない限り受け入れ困難である。電力コスト上昇は長期の温暖化防止のために必要なを各分野の電化(電気自動車等)を阻害することにもなろう。
ピアノやギターを弾いていたのだ。今となっては信じられぬ芸当である。
の意味も必要も理解できぬ者がいるのである。この頭の悪さはどうしようもない。黙って通り過ぎるべきなのだろう。
善良な人は、「よいこと」を自然だと思い込んでいる。しかし、これは単なる理念なのです。要請なのです。願望なのです。むしろ、自然が逆であるからこそ、われわれはよくありたいと望む。嫌い合うことは自然なのです。だからこそ、われわれは嫌い合いたくないと望む。『ひとを<嫌う>ということ』
— 中島義道bot (@gido_bot) July 8, 2019
http://agora-web.jp/archives/1455935.html
目的より情緒を重視する「空気」は、現代の日本にも生きている。原発を稼働しないまま夏を迎えたら大停電のリスクがあることは明らかなのに、橋下市長は再稼働を求めるのは「守銭奴であって政治ではない」という。ここではエネルギー確保という目的よりも悪の象徴である原発と闘う「動機の純粋性」が重視され、他地域に電力の融通を求める本末転倒の要求が出される。『失敗の本質』は永遠に新しい。
http://agora-web.jp/archives/2040083.html
措置としては大きく
①韓国の輸出管理上のカテゴリー見直し(ホワイト国から非ホワイト国へ)
②フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素の韓国向け輸出および製造技術の移転(装置の輸出に伴うもの含む)を包括輸出許可から個別輸出許可への切り替え
という二つがある。
汝、阿呆よ。我は別れに際して、汝にこういう教えを与えよう。もはや愛することのできない場合、とるべき態度は――通り過ぎることだ!-ツァラトゥストラ- イエスが言った、「過ぎ去り行く者となれ。」-トマスによる福音書-§42
— フリードリヒ・ニーチェ (@F_W_N_jp) July 8, 2019
https://www.smbcnikko.co.jp/terms/japan/fu/J0277.html
プライマリーバランス(Primary Balance)とは、国や地方自治体などの基礎的な財政収支のことをいいます。一般会計において、歳入総額から国債等の発行(借金)による収入を差し引いた金額と、歳出総額から国債費等を差し引いた金額のバランスを見たものです。プライマリーバランスがプラスということは、国債の発行に頼らずにその年の国民の税負担などで国民生活に必要な支出がまかなえている状態を意味します。逆に、プライマリーバランスがマイナスということは、国債等を発行しないと支出をまかなえないことを意味します。
近年の日本は、プライマリーバランスがマイナス(赤字)の状態が続いています。国債残高の増加傾向に歯止めがかからない状況からも、早期のプライマリーバランスのプラス(黒字)化を目指していますが、政府が掲げている2025年度の黒字化の実現も困難だということが2019年1月の経済財政諮問会議に提出されました。
(フットボールを例に挙げて)グラウンドは様々の力線によって辿られ、またある種の行為を促す諸区劇に分節されて、競技者の知らぬ間に、彼の行為を発動し、支えるのである。グラウンドは彼に与えられているのではなく、彼の実践的志向の内在的目標として現前しているのである。『行動の構造』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 8, 2019
人生は終わった。
残る課題は、医者が死亡診断書を書く次元の、いわばこの社会の制度としての「死」をどのように迎え入れるかである。
難なくできる身体所作が私にはできないように、マトモな大人ならフツーに身につけているはずの思考回路を持ち合わせない阿呆がザラにいるのだ。そう考えれば諦めもつく。どんだけ説明したって無駄である。
ホモ・イコノミカス=「経済人」のことですが、それを「経済的目的だけを追求する人びとのこと」と解するのは全く誤りです。そもそも、純粋に経済的な目的といったものは存在しません。人びとは常になんらかの”非経済的”目的のためにかせごうと努力している、というのが真実でしょう。(ハイエク)
— ハイエクbot (@hayek306) July 7, 2019
があるといっても30年以上も昔の記憶である。しかも普段足を踏み入れたことのない方角。心許ないが、まあ、案ずるより産むが易しであろう。
https://n.career-info.jp/contents/?id=10232
「辛い(つらい)」が「づらい」になったことから、「づらい」が正しい使用
多くの人は小学生時代に解決している「国語」である。
科学者が原子の自由について語る理由はなんだろうか。分子が、太陽系に類似しているのみならず、人間社会の生命と行動に似ている理由はなんだろうか。もちろん、あたかも私達が、自分自身の人間存在から遠く離れてしまったかのように、この社会で眺め生きているからである。(『人間の条件』45)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 7, 2019
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/kaiken-goken-dame
「みなさんの中にも多いでしょ。憲法は権力を縛るものだという人、9条を守ることで戦力を縛っていると思う人もいるでしょ。(小沢さんの)護憲派っぽい発言に拍手をしている人たち、聞いていてくださいよ」。唐突に聴衆に語りかけ、一段と声を張り上げて続ける。
「それはウソなの。9条があるから、戦力を憲法で縛れなくなっている。日本国憲法に、戦力は存在しないから、自衛隊は戦力じゃないとされている。現実にある戦力を憲法で統制できないのは、立憲主義ですかね?」
井上さんの考えでは、自衛隊を戦力ではない、とする主張はどう考えても無理がある。現実にある戦力は誰が、どう縛るのか。その規定は、戦力の不保持などを定めた憲法9条があるため存在すらしない。
「憲法は国家権力を縛るためにある」という立憲主義の考え方に照らし合わせるなら、これは問題ではないか。
自衛隊や在日米軍の位置付けを巡って、護憲派は二つの立場にわけられる。
一つは「自衛隊も在日米軍も違憲だ」と主張するグループ。立場としては徹底しているが、現実はどうか。口では違憲だと言いながら現実を変える努力もせず、メリットだけはただ乗りして、享受しているのではないか。政治的な立場も含めて、これは欺瞞ではないか。
憲法論議は硬直化している。それもお互いに欺瞞を内包したままに。本来、大事なのは、望ましい安全保障体制とは何かであるにもかかわらず、憲法論議にばかり時間が費やされ、大事な議論は一切深まらない。
ならばいっそ9条そのものを削除する。その上で、安全保障のあり方を議論しながら、決めていけばいい。それが井上さんの提唱する9条削除論の核だ。
古来よりの人間の様々な定義、哲学的人間学の立場から加えられる人間の定義のいずれも、〈信号〉(シグナル)ではなく〈象徴〉(シンボル)を操る動物(アニマル・シンボリクム)、即ちホモ・ロクエンスが前提となる。-ホモ・モルタリス-
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 7, 2019
作品と精神錯乱を結びつける言葉の結合は、とても頻繁に見かけられるが[…]奇妙で野蛮な言葉の結合です。精神錯乱の中には作品はありえません。ただ、言語はその根底から作品を可能にしているのですが、言語が更に作品を狂気の経験的な空間に対して開くことはありえます。-ルソー『対話』への序文-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) July 7, 2019
政府が社会保険および教育のような分野においてなんらかの役割を演じてはならぬとか、主導権をとってはいけないとか、あるいは一時的にある実験的開発を補助すべきでないとする理由はほとんど存在しない。ここでの問題は政府活動の目的よりもむしろその方法にあるのである。(ハイエク 自由の条件)
— ハイエクbot (@hayek306) July 7, 2019
わかりもしねえくせに利いたふうに干渉するな、不愉快で迷惑だと言っているんだ。
書物はことさら取り上げて崇拝すべき不壊の対象ではなくて、むしろ美の契機である、と私は思っています。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) July 7, 2019
…それは根本的な選択なのか、と君は尋ねている。この(両義性の)哲学は一つの選択以上のもの、あらゆる選択を可能にしているものだ。それは人間として生きるという事実そのものであり、君が言うように我々は人間として生きるという「刑に処されている」のだ。『サルトル/メルロ=ポンティ往復書簡』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 7, 2019
https://www.takeda.co.jp/patients/hypertension/qa503.html
タバコに含まれるニコチンは、血管を収縮させて血圧を上げます。喫煙後は手足の血液の流れが悪くなり、指先の体温が下がったりします。また、喫煙時に血液中に取り込まれる一酸化炭素は、狭心症・心筋梗塞・脳梗塞などの発症と深く関連していると言われています。
タバコは吸っている本人だけでなく、周りの人へも悪影響を及ぼすことが分かっていますので、ぜひ禁煙をお勧めします。ただ、禁煙すると口淋しくなったり、食事がとてもおいしく感じられるようになったりして食べすぎになりやすいので十分注意しましょう。
コーヒー、紅茶に含まれるカフェインは血圧を上げますので、朝の1杯のコーヒーは体も頭もシャキッとさせます。ただ、1日4杯を越えて飲むとすこし多いようですので、血圧の高い方は1日3杯までにしましょう。
https://www.aandd.co.jp/adhome/products/hhc/blood_pressure03.html
家庭血圧の正常値は、最高血圧が135mmHg未満、最低血圧が85mmHg未満です。 一方、診察室血圧の正常値は、最高血圧が140 mmHg未満、最低血圧が90 mmHg未満です。
仕事を進めたいところだけれど「情報解禁」の時刻に拘束されている。
しかしだからこそ変態的ではあるかもしれない。どこの誰とも知らぬ(つまり自分と何の関係も成立していない)裸の男女がいきなり画面に登場し、これでもかこれでもかと性交場面を繰り返し、時に性器や顔を大写しにするポルノ映画やビデオはエロティックであろうか。私にはたまたま目にしてしまった犬や猫の交尾と大差がない。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 7, 2019
http://agora-web.jp/archives/1455935.html
5000人以上の兵士が「自発的」に自爆攻撃に出撃した動機は、何だったのだろうか。それを苦しげに説明する当時の上官は「崇高なる精神の発露」とか「厳格な精神作用」といった精神論を乱発し、取材班の「作戦が成功する見通しはあったのか」といった質問には答えない。ここでは何のために戦闘を行なうのかという目的合理性が欠如し、命を捧げて全体に奉仕するという動機の純粋性が自己目的化している。
こうした人格の自己決定能力に基づく「人格の成長」こそリベラリズムを支える第二の基礎であり、第一の基礎である「人間の究極的同一性」と併せて、全ての人間はほぼ同一に自己決定能力を持ち、この能力を発展させることによって人格の成長を図ることができるとホブハウスは考えていた。
— 思想史たん (@shisoshi_tan) July 7, 2019
ケインズは、大きな波はありましたが、調子のいい時には比類ないほど上手な文章を書き、しかもすばらしい声の持ち主で、彼の講演は人の心をひきつけずにおかない魅力的なものでした。それらを駆使して人を説得する、抜群の説得力を持っていたのです。(ハイエク 新自由主義とは何か)
— ハイエクbot (@hayek306) July 7, 2019
繰り返される願望の強調になど耳を貸す価値がない。
自己責任論が批判されることがあるみたいですけど、責任は本来自己に帰せられるものですよね。他者責任が原則だなんてありえません。ある人が自分で無茶な選択をして何かを失ったらその人の責任です。
— 古典的自由主義たん (@cl_liberalism) July 7, 2019
その人が「お前のせいだ」なんてわたしに迫ってきたら混乱のあまり、な、殴ちゃうかもしれません!
全然「分析」もできてなけりゃ、最後は属性依存の権威主義で目利きを気取る阿呆の戯れ言には付き合えない。
文化の多様性と無根拠性を知っただけでは安直なペシミズムに陥るばかりである。何故私達は、それでも神と真理を求め続けるのだろうか。『言葉・狂気・エロス』
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 7, 2019
主体は個別的でありかつ「自分の世界」の普遍的な枠組みであって、言い換えれば主体が認識する内容はすべて「自分自身のもの」である。そうだとすれば、どうして主体が、自分自身を自分の諸々客体の系列のうちに含み入れる(数え入れる)ことができるというのだろうか。(『神話』p209)
— 哲学・精神分析とジジェク (@looking_awry_) July 7, 2019
ソシュールの記号学解体作業は、まずプラトン、『聖書』以来の「言葉とは物や概念の名前である」という考え方への批判から出発する。即ち言語記号とは「自らに外在する実体を指し示す表象(代行・再現物)ではなく、間主体・共同主観的網目の産物に過ぎない」という指摘がその前段階である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 7, 2019
僕は寝るまでに車椅子からベッドに移乗し、褥瘡予防の枕をセットし、留置カテーテルを繋ぐというプロセスがあります。時間にして15~20分くらいかな。
— ちん♿️車椅子Youtuber (@suisui_project) July 6, 2019
面倒くさくないと言えば嘘になるけど、他人の手を借りないと寝る準備ができなかった時のことを思えば全然苦ではありませんよ😊
ではおやすみなさい😪
裏返せば、「他人の手を借りないと寝る準備ができなかった」のは苦だったということだ。至極当然に起こる精神的負担である。これは「他人の手」への感謝の気持ちと矛盾しない。しかし世の中にはそれが理解できぬ人間がいるらしい。
「みんなおれ(私)が悪い」と言いながら、それにぐさぐさ突き刺されることはない。この自罰的感情もまた習慣化のすえに、干からびてしまっていて、放火の常習犯が何の抵抗もなく放火できるように、何の抵抗もなく「みんなおれ(私)が悪い」と呟いて片づけられるのです。『怒る技術』
— 中島義道bot (@gido_bot) July 7, 2019
『対話』は垂直のエクリチュールの上に築かれている。起立していて和声的な構造のこの言語において、語っている主体は、切り離されて自分自身に重ね合わされ、空隙のある主体であり、終わることのない加算によってのみ存在させることができるような主体である。-ルソー『対話』への序文-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) July 7, 2019
我々が自分の身体を通して世界にあるかぎり、また我々が世界を自分の身体でもって知覚する限り、我々に現れるままの世界の経験を呼び覚ますことが今や必要となろう。しかし、このように身体及び世界との接触をし直すことによって我々が再び見出そうとするのは、我々自身でもある。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 6, 2019
https://ja.wikipedia.org/wiki/風が吹けば桶屋が儲かる
風が吹けば桶屋が儲かる(かぜがふけばおけやがもうかる)とは、日本語のことわざで、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えである。また現代では、その論証に用いられる例が突飛であるゆえに、「可能性の低い因果関係を無理矢理つなげてできたこじつけの理論・言いぐさ」を指すことがある。
「風が吹けば箱屋が儲かる」「大風が吹けば桶屋が喜ぶ」などの異形がある。
今日の大風で土ほこりが立ちて人の目の中へ入れば、世間にめくらが大ぶん出来る。そこで三味線がよふうれる。そうすると猫の皮がたんといるによって世界中の猫が大分へる。そふなれば鼠があばれ出すによって、おのづから箱の類をかぢりおる。爰(ここ)で箱屋をしたらば大分よかりそふなものじゃと思案は仕だしても、是(これ)も元手がなふては埒(らち)明(あか)ず
— 無跡散人『世間学者気質』より、慣用句辞典 より転記。
に関しては、もはや受け入れて耐えるしかないってことなのだろうか、医者に訴えてもまるで不作為である。
ある意味では哲学の最高点とは、思考作用は思考する、言語活動は言葉を話す、眼差しは見るという、この自明の理を再び見出す事だけなのかもしれない。しかしこれら同一の二語の間には、思考するため、言葉を話すため、見るために、跨がねばならぬ距離が、その度に見出されるのだ。『シーニュ』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 5, 2019
今日は原稿を書き、いくつかのプロットを書き留めた。
http://www.okinawa.med.or.jp/old201402/activities/kaiho/kaiho_data/2008/200808/059.html
脳卒中による後頭葉等に損傷を受けた場合、視野の障害を併発することが多く認 められる。しかし、これまでに身体の麻痺へのリハビリテーション治療は積極的に 行われてきたものの、視野障害に対する積極的なリハビリテーション治療はあまり 有効なものがないのが現状であった。
しかし、リハビリテーションにおいて損傷された神経路の再建や強化には、新た な脳の可塑的変化が起り、同じ神経路に繰り返し興奮を伝えることが重要であると いうことがわかり、現在訓練の場面でも応用されている。
見えにくい。
ミュラー・リヤー錯視における二つの線分は、等しくも不等でもない。等しいか、等しくないか、いずれか一方であるという二者択一は、客観的世界においてのみ強制力を持っている。ところが視野とは互いに矛盾しあう概念が交叉しあう特異な領域なのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 5, 2019
訂正版ができあがり、受け取った。その後、ドコモショップへ。契約内容の見直し&変更。
よくわからないけれども、世界がすべてこの側に入ってしまったならば、何も認識できなくなってしまう(世界が消える)ってことだ。そう考えると恐ろしい。恐ろしくて泣けてくる。嘘だ。泣けたらどんなに楽だろう。自律神経がバグってるらしく、涙さえ出ないのだ。
なのを指摘されてもそうと気づけない人間と何を話したって無駄である。
泣けてくる。
嘘だ。泣けたらどんなに楽だろう。自律神経がバグってるらしく、涙さえ出ないのだ。
約3年ぶりの帰省を計画。実家に泊まることができないのでホテルを予約した。金を貯めなくちゃ。
われわれは諸経験の連結という奇跡にたえず立ち会っているのであり、またわれわれこそ諸関係のこの結び目なのだから、この奇跡がどのようにして生ずるのかを、われわれ以上に知っているものはいないのである。世界も理性も問題とはなりえない。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 4, 2019
http://www.minamitohoku.or.jp/up/news/konnichiwa/201104/homeclinic.html
自律神経失調症になると、身体の一部が痛む、精神的に落ち込むなどの症状が現れますが、人によって様々で、複数の症状が重なって現れたり、症状が出たり消えたりすることもあります。そこで治療は、心身両面から行う必要があります。
まず、自律神経失調症として現れる主な不調や症状について書いてみますと、頭痛・耳鳴り・疲れ目・動悸・息切れ・手足のしびれや痛み・胃の不快感や吐き気・下痢・便秘・肩こり・筋肉の痛み・生理不順・早漏・射精不能……驚くなかれ、ざっと挙げただけでもこんなにたくさんの症状が、単独あるいは複数重なって現われるのが、自律神経失調症なのです。
そのほかに、全身症状として、めまい・微熱が続く・倦怠感・疲れやすい・フラフラして力が入らない・ほてり・食欲がない・睡眠障害(安眠できない)・朝、起きるのがつらい、などがみられます。また、精神症状として、イライラする・怒りっぽくなる・不安感や恐怖心におそわれる・記憶力や集中力の低下・やる気が出ない・すぐに悲しくなって落ち込む、などがあります。
http://www.jarm.or.jp/civic/rehabilitation/rehabilitation_01.html
脳卒中による身体機能障害は意識障害、認知症、失語症、失認、失行、抑うつなどの認知障害、嚥下障害、眼球運動障害、構音障害などの脳神経障害、片麻痺、運動失調などの運動障害、さらにしびれ、痛みなどの感覚障害、便秘、失禁などの自律神経障害と極めて多種多様です。脳の損傷部位によりこれらの症状が組み合わさって出現するので、症状が全く同じという患者さんは一人もいないと言ってもよいほどです。さらに初期治療に時間がかかり、長期間の臥床を強いられると、関節拘縮や筋萎縮といった使わないことによる運動障害、すなわち廃用症候群が加わり、症状はさらに複雑になります。型どおりのリハビリテーション治療ではうまくいかず、一人ひとりの患者さんに最も適したオーダーメイドの治療プログラムが必要となります。
https://kotobank.jp/word/抽象-97265
経験されたもののなかのある特性に注目してこれを取出し,ほかを捨てること。同じ語が捨てられる特性についていわれるとき捨象と訳される。スコラ哲学は抽象を重視,具体的な個物よりその類や種を引出すこと,質料より形相を切り離すことを抽象と考えた。ここで2つの操作を区別しなくてはならない。一つは一個の対象の本質などをとらえること,もう一つは一般者をとらえることで,後者にあっては一群の存在者の共通要素を帰納的に比較考量することが必要である。また意図的な論理的操作としての抽象のほかに,非意志的な抽象があり,E.スーリオは感情の抽象作用を認めた。抽象的とは具体的の対概念で,純粋に思惟的なもの,非直観的なものをいい,必ずしも抽象作用の結果とはかぎらない。
しかし「抽象的」といったとき、単に具体性に乏しいという「悪口」くらいにしか理解していない国語力の人間があまりに多いと感じるのである。そういう人は「ある特性に注目してこれを取出し,ほかを捨てる」という抽象化による思考ができない。
だから、エレベーターまで遠い。一階エントランスの郵便受けまで杖歩行で往復。やはりエレベーターが難関である。以前、閉まるドアに跳ね飛ばされて転倒したことがある。今日は無事に帰ってきた。
「君の息子は火事の中で身動きできずにいる。君は彼を助けるのだ......もし邪魔な物があれば、君はこれを取り除くのに自分の腕を犠牲にすることも厭わないだろう。君は君の行為の中に宿っている。君の行為こそ君である。」(サン=テグジュペリ著『戦う操縦士』からの引用)『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) January 21, 2015
人間は「工作人」である限り、手段化を行う。手段化は、物が手段に堕し独立した価値を失うことを意味する。したがって最後には(略)人間世界から独立した存在である「地球一般とすべての自然力」も「仕事から生じる物化を提示しないゆえに価値を」失う。(『人間の条件』21)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 3, 2019
ボキャブラリのなさをこちらの読解力のせいにされてもね。
ただでさえ動かぬ半身がますます動かない。
もうこれ以上おれを圧しつぶすな。たくさんだ。
— アントナン・アルトーbot (@ArtaudbotJP) July 3, 2019
政治プロパガンダとしてのマルクス主義はソ連崩壊で一応の終結を見た。しかしマルクス思想の意義が完全に死滅したわけではなく、現代国家における社会権 規定の充実はマルクスの存在なしには実現しなかったであろう。またフランクフルト学派やポストモダンなど思想史的にも大きく影響が及んでいる。
— 思想史たん (@shisoshi_tan) July 3, 2019
差異化においておそらく主要な役割を果たしている知識は、ある一人の人間の知識、いわんや指令を発する一つの超頭脳の知識ではまったくなく、コミュニケーションする何百万もの個体の広く分散したさまざまな、そして対立しさえする信念の実験的な相互作用の過程において生じるのである。(ハイエク)
— ハイエクbot (@hayek306) July 3, 2019
私が遠くの対象を見るとき、私は、写真の乾板が物体の像を受け取るといった具合に、一定の大きさの心像を眺めるわけではない。むしろ私はパースペクティブ的局面の中に、またそれを通して、それの媒介する<一定の物>を把握するのである。『行動の構造』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 3, 2019
知覚的経験に立ち戻るならば、科学が構築できるのは、主観性の見せかけにすぎないことに気づく。つまり、経験がすでに有意味的なまとまりの存在を明示しているのに、科学は物にも等しい感覚を導入し、科学の世界しか理解されないようなカテゴリーに、現象的世界を従わせている。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 2, 2019
【日本の解き方】過去最高の税収も“お先真っ暗” 著名エコノミストが批判する「消費増税」で景気は崖から転落 https://t.co/Qip0GK3sAs @zakdeskさんから
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) July 3, 2019
諸感覚は、物の構造に自らを開くことによって互いに交流しあう。我々はガラスの硬さと脆さを見るのであり、それが透明な音と共に割れるときには、この音も目に見えるガラスによって担われる。我々には、鋼の弾性や灼熱した鋼の可延性、鉋の刃の硬さ、鉋屑の柔らかさが見えるのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 2, 2019
https://www.kango-roo.com/word/14115
パターナリズム(ぱたーなりずむ)とは、強い立場にある者が弱い立場の者の意志に反して、弱い立場の者の利益になるという理由から、その行動に介入したり、干渉したりすることである。日本語では家父長主義、父権主義などと訳される。医療現場においては、「医者と患者の権力関係」がパターナリズムであると、1970年代初頭に医療社会学者のエリオット・フリードソンによって指摘された。著書の『医療と専門家支配』では、医療専門職を専門職のプロトタイプとしており、専門職が社会的支配力をいかに獲得し、患者に影響を及ぼしてきたかなどが言及されている。この医療現場におけるパターナリズムは「医療父権主義」「医療パターナリズム」と呼ばれる。
はあくまで優先順位であって、排他的な唯一の目的ではない。
痛みが増す。、左腕をまったく使わないでも。どこがどう繋がっているのかわからないが。
的外れな評価軸のモノサシをあてがわれる、そのこと自体が不愉快なんだよ。
というそのこと自体が精神的負担になるというのは、そう理解しづらい話じゃないと思うのだがね。その負担を軽減する方法の一つとして、そもそも行動しない、というのはありうるだろう。「必要」がないなら、それを選ぶ。
できない(=想像力の欠如)した阿呆には、己の願望の強調と、論理的正当性の区別もつかぬらしい。
があってすること以外は悪条件を押してでも遂行する気にはなれない。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/98475/meaning/m0u/
1 確実な証拠。確証。「実証のない仮説」
2 確かな証拠をもって証明すること。事実によって明らかにすること。「推理の正しさを実証する」
3 漢方で、病状の一。邪気の亢進 (こうしん) した状態。水毒・食毒・血毒などが体内に停滞することにより引き起こされる。
実証以前にまず「仮説」の時点で筋が通っていなければ(仮説の体をなしていなけりゃ)話にならない。
が、たとえ直接自分自身に及ばなくとも、自分由来であることを理解していれば、ヒトゴトではいられない、いわばワガコトの一部である。アタリマエの話だろう。こんなことも理解できぬということが理解できない。
功利主義の難問は、手段と目的の再現のない連鎖に捉えられてしまい、有用性そのものの原理にけして到達しないという点にある。「目的」が「意味」の内容になっているからである。いいかえると「意味」として確立された有用性が再び「無意味」さを生み出しているのである。(『人間の条件』21)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 2, 2019
「いつまでもお若くていらっしゃるわ」。心の暗くなる表現である。というのも、外観はともあれ、これは私たちが実際に年をとったのでなければ意味のない表現だからだ(第七篇 見出された時2)
— マルセル・プルースト (@Proust_bot) July 2, 2019
https://www.hello-school.net/harojapa010.htm
助詞…付属語で活用がなく、自立語について関係を示したり、意味を添えたりする単語。格助詞・接続助詞・副助詞・終助詞の4つに分類される。
近代は、その劇に加わったすべての俳優の意に反して、住民の一定層を世界から疎外することによって幕を開けた(略)土地を収用し一定集団から世界に占めていた場所を奪い生命の急迫に曝すことにより富の原始的蓄積が行われ富を労働によって資本に転化する可能性が作り出された。(『人間の条件』35)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 2, 2019
を設定してしまうと、「場合」の確定するまで、身動きとれなくなっちゃうからなあ。
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20090812/index.html
最近の脳科学の進展によって、脳梗塞などによって失われた脳の機能も、効果的なリハビリテーションによって機能回復につながることがわかってきました。今回、自然科学研究機構 生理学研究所の鍋倉 淳一 教授の研究グループは、脳梗塞後には反対側の脳が失われた機能を“肩代わり”することを証明し、また、その脳の機能回復の過程の詳細を、マウスを使って明らかにしました。脳の神経回路の「つなぎ換え」(再編)や機能回復は、順序よく整然としたプロセスで起こっていることが初めて明らかになりました。日本でも患者数250万人にも上るといわれる脳卒中後の効果的なリハビリテーション方法開発に役立つ成果です。米国神経科学学会誌(Journal of Neuroscience、8月12日号)で報告されます。
しかしその「最近の脳科学の進展」の知見がどれだけの医療関係者に共有されているのか、甚だ疑問である。
だと思っていたのは糞尿を流す下水道だった。
のメモが出てきた。入院中に書いたもの。時が経てばまた上演できると思っていたのだ。オメデタイ話である。広義の病態失認といえるかもしれない。
その違和感を訴えつつも、まったく放置されてきた肩手症候群が悪化し、いよいよ痛みがひどい。日常生活に支障が出るというより、痛みが日常そのものである。
我々は、我々自身の経験を、つまり、我々がそれであるところの、この意識の経験を持っている。そして言語のあらゆる意味は、他ならぬこの経験をもとにして測られるのだし、また言語が我々に対して何ごとかを意味すること自体、この経験のおかげで初めて可能となるのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 1, 2019
本質的性行為がエロティックたりうるための条件は、想像力による性的イメージの喚起であり、これを現出せしめるものは、言葉が生み出す自/他意識、時間・空間意識、死の意識、裸体・排泄事象に対する性的羞恥心、そしてとりわけ人間という動物が持つ一切の〈美意識〉であるといえよう。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 1, 2019
もちろん、深層の言葉が言葉である限り非連続的な〈差異〉であることを免れないが、表層の言語内の〈差異〉との根本的な違いは、二分された〈図と地〉が二項対立として固定されることなく、絶えず新たな〈形〉へと動いている点にあり、これが〈コードなき差異〉と呼ばれる所以である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) July 1, 2019
https://kotobank.jp/word/対照実験-689329
ある条件の効果を調べるために、他の条件は全く同じにして、その条件のみを除いて行う実験。除いたときと除かないときの結果を比較する。医療や統計学では対照試験ともいう。コントロール実験。空(くう)試験。ブランクテスト。
この「実験」には当然、思考実験も含まれるだろう。モノの考え方の話だ。
手段=目的の思考方法を政治領域に解き放ち、野放しにした場合、必ず致命的な結果をもたらすことは知られていた。(『人間の条件』21)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) July 1, 2019
私が本を読むのは、美学的感動を与えてくれるからであり、解説や批評は黙殺してきました。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) July 1, 2019
じゃなくてもなんとか杖歩行で対応はできるのだけど、置き去りにした車椅子が入口を塞いでしまい、他人の通行の邪魔になってしまうのだ。気にしないでいいと言われても気になるに決まっている。
コトバのやりとりには付き合えない。可処分時間に限りがあるのだ。「言葉」でなく「コトバ」としたのには意味がある。
稽古場への道をもう一度通ってみたいんだ。手間を惜しまなければ不可能なことではないだろう。
労働とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。人間の肉体が自然に成長し、新陳代謝を行ない、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程の中で生みだされ消費される生活の必要物に拘束されている。そこで、労働の人間的条件は生命それ自体である(H・アーレント)
— 経済思想bot (@historyofecon) July 1, 2019
同じ土俵にいるつもり? 笑わせないでくれ。話にならんといっているのだ。
時間を巻き戻したい。と切に思う。
自分が自分の意志を隅々までわかっているという想定こそ事実に反する。「意志」とはかようにフワフワしたものです。しかし、一旦私が他人から過去の責任を追及されるような事態に至ったとき、「私の意志」ははっきりとした形を帯びていわば突如として私の内部に定着するのです。『哲学の教科書』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) July 1, 2019
を不意に思い出す。そのメカニズムはPTSDに近いのではないか。同室の患者が朝の5時にトイレに起きた。いちいち看護師の介助が要る。そういう決まりなのだ。病室に帰ってくると、ベッドに戻りたがっていたが。じきに起床時刻だからと、戻してもらえず泣いていたことも。とにかく寒いのである。あれに比べりゃ今は自由で至極快適だ。なるほど、そういう意味では確かに自宅復帰を促す役目を果たしていた。刑務所の居心地が良くちゃ行けないのと同じだ。なるほど、あんな地獄は二度とゴメンである。
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