他者が神と呼ぶものの存在
私個人にかんするかぎり、他者が神と呼ぶものの存在を否定も肯定もする資格はないと感じていると述べなくてはならない。というのも、このことばがなにを意味するとされているのか、単純に分からないと認めざるをえないからである。(致命的な思いあがり)
— ハイエクbot (@hayek306) June 28, 2019
内田百閒『白子』の冒頭を思い出した。
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