私の手が、私に差し出されたものを取るためにひとりでに動くように
話している時には、私は、自分のなすべき諸運動を表象するわけではない。ちょうど私の手が、私に差し出されたものを取るためにひとりでに動くように、私の全身体的装置が、語に追いつき語を発語しようと集まるのである。『世界の散文』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) June 18, 2019
その運動機能の喪失は、だから広義の失語症といえるのではないか。以前のようには「書けない」というのはそういうことであり、単にペンが持てる/持てない、とかキーボードが叩ける/叩けないとかの話ではないのだ。
「書く」というのがどういうことか分からぬ者すなわち創作があらすじの伝達だと思ってるような者には決して理解できまいが。「書く」という行為がフィジカルなものなんだと私がいうのはこういう意味である。単にペンを動かすとかキーボードを叩くとか、そういうことを言ってるんじゃない。
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