表現体系
私は今話しているのであるから、私の言語体系は私にとって様々な出来事の総和ではなく、表現意志全体のただ一つの道具なのである。そしてそれが私にとってまさにその様なものであるからこそ、私は他の色々な表現体系の中に入り込んでいくこともできるわけなのだ。『世界の散文』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) June 18, 2019
« 本来ならば | トップページ | 『リスクにあなたは騙される』 »
「哲学」カテゴリの記事
- シュレーディンガーの猫(2025.02.02)
- 下部構造が上部構造を規定する(2025.01.16)
- 構造と力(2025.01.12)
- ブルードン(2024.11.21)
- 狂気の歴史(2024.11.21)
コメント