物として存在するか、意識として存在するか
存在するものはすべて、物として存在するか、意識として存在するか、いずれかであって中間はない。物は一つの場所にある。しかし知覚はどこかに存在するのではない。知覚とは、知覚すると思惟することにほかならない。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) June 19, 2019
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