丸山圭三郎
エロティシズムの持つ二重の禁止とは、自然をはみ出しこれを否定することによって生じた羞恥心と罪の意識の発生(=昇華)とタブーの登場(=物象化)であるのに対し、二重の侵犯とは、自らが作り上げ実体化したタブーの侵犯(=抑圧)と死に至るまでの生の称揚(=排除)である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) 2019年4月4日
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エロティシズムの持つ二重の禁止とは、自然をはみ出しこれを否定することによって生じた羞恥心と罪の意識の発生(=昇華)とタブーの登場(=物象化)であるのに対し、二重の侵犯とは、自らが作り上げ実体化したタブーの侵犯(=抑圧)と死に至るまでの生の称揚(=排除)である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) 2019年4月4日
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