ジジェク
自分とは別の主体(そして究極的には主体そのもの)は、ラカンにとって直接あたえられるものではなく「前提」、すなわち、推定されたもの、信仰の対象である。そもそも私の目の前にいるものが深みがない生物機械ではなく、もう一人の主体であると、どうすれば確信できるというのか。(『暴力』p64)
— 哲学・精神分析とジジェク (@looking_awry_) 2019年3月25日
自分とは別の主体(そして究極的には主体そのもの)は、ラカンにとって直接あたえられるものではなく「前提」、すなわち、推定されたもの、信仰の対象である。そもそも私の目の前にいるものが深みがない生物機械ではなく、もう一人の主体であると、どうすれば確信できるというのか。(『暴力』p64)
— 哲学・精神分析とジジェク (@looking_awry_) 2019年3月25日
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