しかし、車(第二次ルール)のある社会に住む私たちは、赤信号が従うべき行為の「規準」であり「止まる」という判断に対して「十分な理由」を提供することを知っている。それは他者の逸脱を批判したり、自分の行為を正当化する「規準」としても使う。その時、私たちは「内的視点」に立っているのだ。
— 思想史たん (@shisoshi_tan) 2019年2月24日
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