ハイデガーは、私にとって常に本質的な哲学者でした。私はヘーゲルを、ついでマルクスを読むことからはじめ、そして1951年か1952年にハイデガーを読みだしました。更に1953年か1952年、いつであったのかよくは覚えていませんがニーチェを読みました。-道徳への回帰-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) 2019年1月21日
ハイデガーは、私にとって常に本質的な哲学者でした。私はヘーゲルを、ついでマルクスを読むことからはじめ、そして1951年か1952年にハイデガーを読みだしました。更に1953年か1952年、いつであったのかよくは覚えていませんがニーチェを読みました。-道徳への回帰-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) 2019年1月21日
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