両足に
均等にかかった体重を一方へと徐々に移し、重心を慎重に移動して、歩行の糸口を掴もうとしていた。が、それが他人の目には、次に成すべきことを忘れて「悩んでいる」と見えたらしい。そう「見えた」というのはそいつにとっての「事実」だろうが、実際には悩んでなどいない。むしろ方針は明確に定まっていた。またあるときは、手が使えないから口でバナナの皮を剥こうとしたら、「食べ方を忘れてまるごとかぶりついている」という『失行』のストーリーに回収する。それを我が目で見たという「体験」がう断定を補強してしまうのだ、何を言おうとそいつにとっては「言い訳」で、「それで〈事実〉が変わるのならばいくらでも聴きますけどね」などとほざくわけだ。「目撃者」としの自尊心が無駄に高く、また自己相対化の能力が欠如しているものだから。医療ミスとメディアの「誤報」に共通する構造であろう。
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