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2019年1月 8日 (火)

すべての生物に最終的に起る生命作用の完全な停止。人間の死の厳密な定義についてはさまざまな議論があり,文化や法制度によっても違いがみられる。信仰のうえでは肉体的な存在と精神的な存在を区別しようと試み,死に続く人体の分解にもかかわらず,死を経験してもその人の何かは生延びると考えられてきた。この信仰は過去,現在のほぼすべての宗教でみられる。
死という概念は,生物の個体,器官,組織,細胞など,さまざまのレベルで考えられている。人間個体の死は一般に,心臓拍動と呼吸運動の停止,瞳孔の散大で判定される。死の定義や死亡の時期については,臓器移植 (特に心臓移植) の普及,人工臓器や生命維持装置の開発,蘇生術の進歩,安楽死の問題などと関連して再検討がなされている。呼吸が停止し,刺激への反応もなく,心臓拍動もみられない人も,医学的手段で生返らせることは不可能ではない。そのうえ,生命維持に必要な機能を,身体の能力をはるかにこえて,人工的な手段で付与することもできる。したがって,生命維持装置をつけていたり,臓器移植においてドナー (提供者) から臓器を摘出する時点を決定するうえで,死の発生を判断する新しい指針が必要とされている。人の死の新しい基準で最も有力なものは,脳の死をもって個体の死とみなす脳死説,すなわち脳の機能と自発的呼吸が不可逆的に停止した状態である。
死は人間にとって重大な意味をもち,古来多くの宗教や哲学を生み出す契機となってきた。プラトンでは死は魂を肉体より解放するものであり,プロチノスはそれゆえ死を善とした。キリスト教では肉体の死のほかに永遠の生命たる神からの離反としての魂の死がいわれる。ストア派やエピクロスは死の恐れの克服を課題とし,後者は死は非存在であり,われわれが存在するかぎり死はなく,死があるときわれわれは存在しないと語った。ハイデガーは死が人間の生の本質を構成していることを認め,人間の現存在を死への存在と規定した。サルトルは死の偶然性を強調し,死はむしろ可能性を無に帰するものであるとした。
それが単に生命現象の不可逆的停止にすぎないならば,、たとえば「孤独死」が「問題」にされることもないだろう。「死」というものが文化的に否応なしに孕む物語性、それこそが問われているわけである。
 

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