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2018年12月11日 (火)

ボディ・イメージ

自己の身体に関する空間的な心像のことで、身体像と訳される。身体的自我、身体的図式(シェマ、スキーマ)などと類似の概念である。ボディ・イメージの研究は16世紀にパレが四肢の切断後に出現する幻肢(げんし)を観察したことに始まる。自分の身体も外部の対象と同じように認識の対象となる。外部の対象は見られ、触れられるものであるが、自分の身体はただ見られ、触れられるものであるだけでなく、その対象自身が見られ、触れられていることを感じ取る主体でもある。こうした身体知覚の二重の働きから、自分の身体の認識は、自我をつくりあげる基になっていると考えられる。フロイトは、自我は究極的には身体感覚から、それを支えにして身体の表層に由来する感覚から生まれるという。もちろん、自分で自分の身体を全体として統一的に認識することはできないから、身体像は部分的なものになる。身体像が鏡像的に、あるいは他者との対比からつくられるとき、身体像は全体的なものになってくる。いずれにしても、自我の形成にとって重要な意義をもつものである。心身医学においては、神経性無食欲症(拒食症)に身体像の障害が指摘されており、身体像や身体自我のゆがみが病因の一つとして注目されている。[外林大作・川幡政道]
『W・ゴーマン著、村山久美子訳『ボディ・イメージ 心の目でみるからだと脳』(1981・誠信書房) ▽P・シルダー著、秋本辰雄・秋山俊夫編訳『身体の心理学――身体のイメージとその現象』(1987・星和書店)』
自分の身体も外部の対象と同じように認識の対象となる。外部の対象は見られ、触れられるものであるが、自分の身体はただ見られ、触れられるものであるだけでなく、その対象自身が見られ、触れられていることを感じ取る主体でもある。こうした身体知覚の二重の働きから、自分の身体の認識は、自我をつくりあげる基になっていると考えられる。
そう考えれば「自分は自分。他者との比較など無意味」などというJポップ的警句は、それこそ陳腐で無意味ということになる

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