主体は個別的でありかつ「自分の世界」の普遍的な枠組みであって、言い換えれば主体が認識する内容はすべて「自分自身のもの」である。そうだとすれば、どうして主体が、自分自身を自分の諸々客体の系列のうちに含み入れる(数え入れる)ことができるというのだろうか。(『神話』p209)
— 哲学・精神分析とジジェク (@looking_awry_) 2018年12月14日
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