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2018年12月

2018年12月18日 (火)

歩く動作

さくら学院 2013年度『スリープワンダー』

徳永英明『最後の言い訳』

懐かしいとくにファンだったわけでもなく、CDも一枚も持っていないけれども学生時代に大いに流行り、カラオケで歌う人がやたらいて、そういう回路で過去の記憶と結びついている。

20181215

防火管理者としての職責を果たせぬ状態にある旨、管理人に手紙を出し、管理会社の担当者と管理組合の理事長に伝言してもらった。伝言した旨の手紙を受け取った。

TPPはなぜ日本にメリットがあるのか

要するに関税撤廃により、国内生産者余剰の減少を補って余りある国内消費者余剰の増加が得られるわけだ。 これはもう経済学の理論上そうなのである。

家の中では

壁や建具に手をついて歩くことが多いのだけど、ヘンに身体をひねって姿勢が悪くなってしまうかな? 杖を使った方がいいのかも。

ご都合主義

己の意図が相手に伝わらないのは相手に理解力がなく、相手の意図が己に伝わらないのは相手に表現力がないとするご都合主義。

調整コスト

本来不要な調整コストを負担するのは、それを補って余りあるベネフィットが期待できるときだけだ。

20181218

8時30分起床。血圧を計ってから仕事。夢の中でも車椅子でトイレを探してた。

2018年12月17日 (月)

モラルハザード

規律の喪失、倫理観の欠如した状態のこと。もともとは保険用語で、被保険者や保険契約者が保険に安心して、不注意や故意により事故を起こす危険という意味で使われる。保険が準備されている結果、リスクを回避しようとする意識が薄れ、リスクを一層促進させてしまう行動を指す。また、会社倒産や業績不振にもかかわらず、経営陣がその責任を明確にせず辞任しなかったり、高額な退職金を受け取ったりする場合などでも使われる。モラルハザードを防止するには、健全な行動を促すためのルールと、それを遵守する倫理観の醸成が重要。
 

滑り止めマット

を浴室で使っていたが、片手で上手く広げることができなくて、撓んで水溜まりができたり、マット自体が滑ったりでかえって危ないから使うのを止めてしまった。

神奈川県在宅重度障害者等手当

http://www.city.kawasaki.jp/350/page/0000022199.html

川崎市在宅重度重複障害者等手当

かわさき福祉情報サイト「ふくみみ」

http://k-fukumimi.com/

恥を知れと言いたい。

20181217

目薬を処方してもらったが、ウインクできないからさすのに一苦労である。

代償

患者が不随の手の代わりに口を使うケースなど、今までいくらでも目にするケースがあったはずだが、「高次脳機能障害によってバナナの食べ方がわからなくなって、皮ごとかぶりついている」という自分にとってワカリヤスイ「物語」に回収し、いじって笑いものにするなど、医療関係者として失格だろう。

四点杖

今、日常的に使ってる四点杖は、昨年末に一時帰宅するつもりで、病室で、スマホで注文し、通販で買ったものなんだ。結局一時帰宅は叶わなかったけれど、だから退院時にはすでに私物の杖を持っていたってわけ。

実はもう

死んでいるんじゃなかろうか。俺にその自覚がないだけで。
そう考えるといろいろ辻褄が合う気がするんだ。

2018年12月16日 (日)

幼稚な「正義」は

マンガチックな「巨悪」を必要とする。通俗的な善悪の二項対立の設定を成り立たせるために。

ファーウェイのCFOが逮捕された本当の理由

宮家)一般論しかいまは言えませんが、この会社は札付きの会社だと思っています。中国のこの種の会社というものは、中国政府と協力するか、もしくはその支援を受けていないとここまで大きくはなりません。たしかに国営ではなく民営であることは事実ですが、創業者は軍人です。アメリカが中国政府に対して怒っているのは、「お前ら、諜報機関を使ってアメリカ民間企業の情報を全部抜き取って、それを諜報機関だけで使うのならばともかく、中国の民間企業に横流しして強化しているではないか。それはルール違反だ」ということなのですよ。その典型例の可能性がこのファーウェイにあるのです。
よく言われるのは、企業の通信機器に1つ小さなチップが入っていて、そのチップから流れている情報が全部、中国側に抜かれている可能性があるということです。それは単に個人情報の漏洩ではなく、国家安全保障の問題でもある。たまたま米中の貿易戦争があって、先日は米中の首脳会談があり、そのタイミングで逮捕されているから、貿易問題ではないかと思われる人もいるかもしれませんが、もっと根が深い問題です。

爆笑

名](スル)大勢の人がどっと笑うこと。また、その笑い。「ギャグに爆笑する」
[補説]一人または数人が大声でわっと笑うことの意でも用いられる。

え、タッカンがレスポール?

何待ち?

って苛つくことがよくあり、だから自分のとこで情報が停まってるのがすごくイヤなんだ。

腹が減ったら

あるもんでテキトーに食ったり、買ってきたり食いに行ったり、いずれにせよ一人でちゃっちゃと対応したもんだが一切できなくなってしまった。

Namida

ある日突然

庭に空いた原因不明の穴を、ホームセンターで買ってきた土と舞台美術に使用したレンガで埋めたことがあった。

チャイルドロック

セラミックヒーターのチャイルドロックが勝手にかかってしまうのでうざい。

何をもって「治った」とするか

リハビリテーションの定義:一度失った能力を再び回復させる
「一度失った能力を再び回復させる」の意味は以下の二つに大別される。
①障害の後遺症を残したまま日常生活を行う方法
②障害の後遺症を回復させて正常に近い状態に戻そうとする方法
①:回復可能と言われている時期までは積極的にリハビリを行うが、それ以降は後遺症として残存する障害を受容させ、機能維持を目的としたリハビリを行う。
②:障害受容させるのではなく、患者の可能性を追求。
スポーツマンシップに則るなら、②の立場を貫くべきだ。「決して諦めない」とか「希望を捨てない」という価値観を鰯の頭のように信じるのも口にするのも容易だろう。
だが人生はスポーツではない。
限られたリソースをどう配分するか。社会復帰の美名の下に、そもそも復帰すべき「社会」自体を失うリスクだってあるのだ。

徴用工判決

メンガー「限界効用理論」の誕生

効用とは、人間の欲望の単位だと考えていただきたい。財(モノ)やサービス1単位を追加したときの人間の効用の増加分を限界効用という。
 限界効用はふつう逓減する。これを限界効用逓減の法則という。
 ざるそばを注文する。追加してもう一枚食べる。さらにもう一枚追加していくと、効用(欲望)は逓減していく。消費量が増えるにしたがって効用は逓減する。財の価値は人間の効用で決まるというわけだ。
 古典派経済学やマルクスの経済学は、財の価値を労働におく。労働で商品の価値が決まるとする。これを労働価値説という。つまりコストで価格が決まるから生産費説ともいう。
メンガー、ジェヴォンズ、ワルラスの3人は、商品の価値は主観的効用で決まるとする。なにより重要なのは、無差別曲線と予算線の交点で効用は最大化するわけだが、関数の多変数を固定し、一部を増加させたときの変化を見るため、偏微分で計算可能ということである。つまり、経済学と数学を直接結びつけたわけだ。経済学が一挙にサイエンスに近づいたといえよう。今日のミクロ経済学の原点である。ただ、メンガーは数学を使っていない。
 無差別曲線とは、x軸とy軸にそれぞれ財を置き、効用を一定とすると無数の組み合わせを結ぶ曲線が何本も引ける。原点に対して凸の曲線だ。これに対して予算線はxとyの組み合わせだから右下がりに引けるので、この予算制約の直線と無差別曲線の交点で効用は最大化する。ミクロ経済学の教科書の初めのほうに必ず出てくる。原点に対して凸になるのは、限界効用が逓減するからである。
「18世紀の啓蒙の科学の最大の特徴は、『自然』と『社会』は、ともに全知全能の『神』が設計し造形した存在物にほかならないというプロテスタント流の自然『神学』の理論を、徹頭徹尾『合理的』に、言葉を言い換えれば、徹頭徹尾『科学的』に基礎付けようとしたことのうちにあった」(『思想史のなかの近代経済学』※注4)。
「社会は、自然と同様に、自律的・規則的な『自然法』に支配されるにちがいない」(前掲書)という思想は、19世紀に入ると西欧全体に普及し、大学の法-国家学部(経済学は国家学の一分野)には「自然法と国家学」という講座ができていく。

演劇を

つくることはおろか、観に行くことも、もうできないだろう。いわゆる実験演劇やテント芝居なんかももっと観ておけばよかったと思う。役者との付き合いで見た自称アングラの低俗なプロパガンダ劇には辟易としたが、今にして思えばあれだって他山の石としての有用性くらいはあったのだ。

自律神経

体調管理のためには自律神経を整えたいのだけど、読書にせよ映画や音楽の鑑賞にせよ、「面白い」と思うものは俗にいう「癒やされる」ものでなしに、むしろ自律神経を乱すようなものだから困ってしまう。

12月16日

7時起床。意識的に日光を浴びようと思う。妻を起こさぬよう、居間の電気をつけないでいる。それでは目も悪くなってしまうから、ヒーターを持って書斎に移動。たったそれだけのことが、俺にとっては一仕事なのである。

2018年12月15日 (土)

ハムストリング

大腿(だいたい)後面にある、大腿二頭筋、半膜様筋、半腱様筋などの総称。スポーツトレーニングで重要な筋肉

ハムストリングと大殿筋

それから腹筋は筋肉痛になってもOKみたいな風潮は何なのだろうか?
痛みで眠ることもままならなかったのだが。

住宅改修

しかしその言いなりになっていたら、今頃、俺は風呂にも入れていないのだ。一時帰宅時に妻と改修プランを検討し、それを実施したおかげで今は一人で入浴できている。

椅子から立ち上がる

ただそれだけのことが困難だった時期があるのだ。それを思えば今はひとりで風呂にも入れているのだからずいぶんマシになったものだ。

去年の今頃は

年末に一時帰宅するかどうかでモメていたんだった。あれから一年が経ったのだなあ。

セクハラ

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181214/k10011747601000.html

クレーム?

気に入らなけりゃ見なきゃいいだけなのに、まったくめんどくせえ話である。

夢の中でも

すっかり車椅子がデフォルトになってしまった。夢の設定は自分の意志で自由にならないから。俺が北大の18条門あたりから構内に入ろうするが、車輪が段差に引っかかって入れないでいた。現実にそこに段差が存在するのかどうかは知らないが。

かと思えば、べつの夢では以前のとおり、スタスタ歩いていたりもするのである。

食欲

はフツーにあって、嚥下にも問題はない。
結構なことではあるのだが、何をするでもないのにムダに腹が減るのだから嫌になる。

原稿

空いた時間に
原稿を書き進めたいとも思うけれども
ぐったり疲れてしまうのだよな。
事前に読んでおきたい本もたくさんあるし。

シュールは(言葉のような)言語的記号に焦点をあて、‘音声言語中心的に’話し言葉を特に重視した。特に聴覚映像(‘音声 - 映像’または‘音のパターン’)に触れ、書いたものは別の、二次的な、従属したしかし比較しうる記号システムと見ていた(Saussure 1983, 15, 24-25, 117; Saussure 1974, 15, 16, 23-24, 119)。書かれた記号という(‘別の’)システムでは、書かれた文字‘t’のような記号表現は、言語の一次的な記号システムでは音を意味していた(そして、書かれた言葉は概念よりもむしろ音声を意味する)。このようにソシュールにとっては、記号表現が記号内容に関連付けられるのと同じように、書き言葉は話し言葉に関連付けられた。ソシュールのモデルを採用した後継者たちは、話し言葉や書き言葉としての言語的記号の形式に言及することに甘んじている。あとで、ポストソシュール流の記号の‘再物質化’に戻る。

沖縄返還

 
沖縄返還(おきなわへんかん)は、1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還されたこと(沖縄本土復帰[1])を指す。日本国とアメリカ合衆国との間で署名された協定の正式名称は「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」である。 日本の法令用語としては、沖縄の復帰(おきなわのふっき)という。

管理

たとえば屋上の鍵ひとつ預かるにしたって、どこかにしまい込んでおけばいいってもんじゃなく、必要に応じていつでもに取り出せなきゃ「管理」してることにならないわけだ。だから俺がそういう管理者の立場に就いていてはいけない。管理組合の機能を低下させ、集合住宅の資産価値も毀損してしまうことになる。

防火管理者

も実質「降板」である。
ひとがめんどくさがる仕事を引き受けて、迅速な対応をしてやるのが俺のウリだったのだけど、そういう能力の一切を失ってしまった。

メンガー、ジェヴォンズ、ワルラスの3人は、商品の価値は主観的効用で決まるとする。なにより重要なのは、無差別曲線と予算線の交点で効用は最大化するわけだが、関数の多変数を固定し、一部を増加させたときの変化を見るため、偏微分で計算可能ということである。つまり、経済学と数学を直接結びつけたわけだ。経済学が一挙にサイエンスに近づいたといえよう。今日のミクロ経済学の原点である。ただ、メンガーは数学を使っていない。
 無差別曲線とは、x軸とy軸にそれぞれ財を置き、効用を一定とすると無数の組み合わせを結ぶ曲線が何本も引ける。原点に対して凸の曲線だ。これに対して予算線はxとyの組み合わせだから右下がりに引けるので、この予算制約の直線と無差別曲線の交点で効用は最大化する。ミクロ経済学の教科書の初めのほうに必ず出てくる。原点に対して凸になるのは、限界効用が逓減するからである。

マルクス『資本論』は何を間違えた?

けれども、原作である『資本論』が不朽の古典として扱われることには抵抗を感じます。今からみれば、経済について完全に誤った考えに基づいているからです。
 たとえば「等価交換」という考えです。マンガ版ではパン屋と八百屋が売れ残ったパンと野菜を交換し、その交換が成り立つのは互いの商品が同等の価値を持つからだと解説されます。
 何となく納得してしまうかもしれません。しかし人が物を交換するのは、相手の物が自分の物と同じ価値を持つからではありません。もしそうなら、多くの買い物客がスーパーやコンビニを出たとたん店に引き返し、不良品でもないのに、買ったばかりの商品を返し、お金を取り戻そうとするはずです。同等の価値を持つことが交換の理由なら、商品とお金の交換を何度繰り返しても、人は満足するはずだからです。
 しかし現実にはそんなことをする人はいません。買い物客は、払ったお金よりも買った商品の価値が大きいと思うからです。一方、店の主が商品を手放すのは、逆に商品よりもお金の価値が大きいと思うからです。
 つまり交換が成り立つのは、同じ物(お金も物の一種です)でも人によって価値の大小が違って見えるからなのです。
 ここからわかるのは、物の価値とは、それを作るためにかかった労働量などの客観的な基準で決まるのではなく、人それぞれの主観によって決まるということです。この事実は1870年代、オーストリアの経済学者メンガーらによって明らかにされました。経済学の歴史上、革命的な発見といわれます。

12月15日(土)

今日は休日だったから、午後まで惰眠を貪った。
休み明けに血液検査を予約してあるのだけど、妻の仕事が押していて、採血に行くのが難しそう。ただ血を採るだけなんだから、薬をもらいにいったとき、ついでにやってくれりゃいいのに、いちいち「予約」というのが鬱陶しい。というか、そういう事態を招いてしまっている己の存在こそが鬱陶しいのである。正直、自分で持てあましている。
「価値」というものが市場での交換価値を示すのなら、確かに俺には何の価値もない。自虐でも何でもないタダの事実である。

 

2018年12月14日 (金)

食後、食前、食間とは?

食前とは胃の中に食べ物が入っていないとき、一般に食事の1時間~30分前をいいます。食事による症状を抑える薬、食後には吸収が悪くなる、副作用が出やすくなる薬などが食前投与を指示されます。
食後とは胃の中に食べ物が入っているとき、一般に食事のあとの30分以内をいいます。胃に負担をかけやすい薬、食事と一緒に服用したほうがよく吸収される薬などが食後投与を指示されます。食事の影響を受けない薬については、飲み忘れを防ぐために食後投与とされる場合があります。
食間とは食事と食事の間のことで、食事の2時間後が目安です。これは空腹時の胃粘膜の保護を目的としたり、食物に影響されて薬の吸収が減少して効果が弱くなってしまうのを防いだりするために指示されることがあります。食前とは胃の中に食べ物が入っていないとき、一般に食事の1時間~30分前をいいます。食事による症状を抑える薬、食後には吸収が悪くなる、副作用が出やすくなる薬などが食前投与を指示されます。
食後とは胃の中に食べ物が入っているとき、一般に食事のあとの30分以内をいいます。胃に負担をかけやすい薬、食事と一緒に服用したほうがよく吸収される薬などが食後投与を指示されます。食事の影響を受けない薬については、飲み忘れを防ぐために食後投与とされる場合があります。
食間とは食事と食事の間のことで、食事の2時間後が目安です。これは空腹時の胃粘膜の保護を目的としたり、食物に影響されて薬の吸収が減少して効果が弱くなってしまうのを防いだりするために指示されることがあります。

宅配便のインターホンにも

間に合わないくらい、ゆっくりでしか動けないくせに、役者時代に練習したスロウモーションの動きなんて決してできない。

ではいったい沖縄は普天間をどうしたいのだろう?

個人請求権は消滅してない

そりゃそのとおり。請求先がオカシイだろって話。

ご飯論法

議論における言い逃れや論点のすり替えを表す言葉。たとえば、「朝ご飯は食べたか」という質問の「ご飯」を故意に狭い意味にとらえ、「ご飯(米)は食べていない(が、パンは食べたかもしれない)」と答えるといった具合である。2018年、法政大学教授の上西充子がTwitterに投稿したことから広まり、主に国会質疑で政権側が野党の追及をかわすために論点をずらしたり、ごまかそうとするのを揶揄する表現として使われた。同年、『「現代用語の基礎知識」選 2018ユーキャン新語・流行語大賞』のトップ10に選出された。

ジンクス

ホワイトイルミネーションをカップルで見に行くと別れる、という話は、塾講師のバイトをしてた学生時代に生徒から聞いた。
俺も妻と見に行ったことがあるが、ひょっとしたらそれで「死別」したのか。そして俺は死してなお生き存えているというわけだ。
ありもしない因果関係を求めてしまうな。

ロボット掃除機

がやってきたのだ。
Photo

生きながら

死んでいる。あるいは死してなお生き存えている。
そんな感じなんだ。

咳やくしゃみ

が怖いのは、予想される「風邪」などではなく、物理的反動による転倒なんだ。

体重を

乗せろというが、足の指が動かないのだから、地面を捉えた感覚がなく、これで体重が「乗った」といえるのか甚だ疑問。

何が

「いじり方に悩む」だよ? スキルもねえくせに芸人気取りかよ? ド素人にいじられる筋合いはねえよ。不愉快だ。

12月14日(金)

9時起床。
ベッドで身支度しながらありがたいと思うのは入院中と違って寒くないこと。ていうか、まず、朝の六時にたたき起こされないし。

2018年12月13日 (木)

裏目

少しでも何かの役に立とうとすると、転倒リスクを孕むから、かえってひとの手を煩わせてしまう。情けない。

俺自身

何気なく掌で自分の頭に触る。普通の人なら誰でも難なくできる所作だ。俺も右手でならアタリマエにできる。しかし左手は動かない。けれど、その所作の記憶はあって、力み具合にも覚えがあるんだ。しかしその「何気なさ」を再生しようとすると、身体に拒否されてしまう。他人の腕を動かそうと念じているみたいだ。いったいこの身体のどこまでが「俺自身」なのか。

イルミネーション

近所の駅前のロータリーの有名でも何でもないイルミネーションを妻と見に行きたい。夏に花火に行けなかったし。でも寒いかな?

心底阿呆なアジビラである。

まったくである。せめて加担したくないものだ。

その場で行進

というのを小学校でよくやらされた。要するに足踏みで「何の意味が?」と当時は思ったものだが、今、そいつができれば、かなり歩行が楽になる。

この人は何を言ってるんだろうか? ものの道理が分からぬ人なのだということはよくわかる。

洗顔

入院中、洗顔用にと妻が持ってきてくれたウェットティッシュ。
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正月は

いつも原稿を書いたり、図面を引いたり美術の製作をしたり、芝居の準備に充てていたけど、今年はその必要がないから、何年ぶりかで普通に正月らしく、のんびりしようと思う。

セラミックヒーター

を購入したのだ。。仕事中、足元が温かくてずいぶん助かる。
Heater

睡眠は大事

場合分け

が煩雑で無駄に疲れてしまうのだ。
エクセルだってif関数は時間がかかるものだ。

若葉台イルミネーション

名称
若葉台イルミネーション
2018年の開催
2017年11月18日(土曜日)から2018年1月8日(月曜日・祝日)
点灯時間
午後4時30分から午後11時
場所
京王線「若葉台」駅すぐ
点灯式情報
2017年11月18日(土曜日)午後3時30分から
イベント
点灯式
ミニコンサート
稲城なしのすけの登場

悪気がないのはわかっているが

手を引かれると、助けになるどころかむしろ怖いんだ。

睡眠

結局のところ、作業時間の隙間を見つけて睡眠を取るというパターンは従前と何も変わっていない。

2018年12月12日 (水)

ピタパタの

ツイッターアカウントを削除した。少なくとも当面は発信すべき新たな情報はないし、放置して乗っ取られたりしても面倒だしね。

装具

俺は入院中に言われるがままに装具を作ったが退院後は(誇張表現でなしに)全く使用していない。

図書館

一部を拾い読みしたいだけのややこしい系の本を図書館で借りようと思ったが、借りに行く/返しに行く、という行為が困難だから買うしかないな。

身体地図


人の体の中には「地図」があります。といっても、ここに心臓、ここに腎臓、ここに胃袋、ここに○○○コといった解剖図ではありません。ボディ・マップとも表現されているようですが、私はン十年前の学生時代、心理学の講義で初めてこの言葉を知り、「へー…」と思いました。
私も「身体地図」と聞いた瞬間、「解剖図のことかな…」と思ったのですが、簡単に言えば「自分の頭は今ここでこうなっていて、自分の右手は今ここにあって、物をつかんでいる」「自分は今、中腰になっている」と云ったように「自分の身体の状況を把握する事」です。と同時に「外部と自分を区別できる事」です。「何だ、そんなことか」などと思ってはいけません。これは、当然、運動能力にも関わることですし、健全な身体能力を維持できているという証なのです。のみならず、精神の状態にも影響する事なのです。
もちろんそれが物理的な器質的損傷によって損なわれることもありますけど、それは失った部分であり、全体としては統合されています。ちなみに「幻肢」というものもあり、「幻影肢」とも云うようですが、例えば腕を事故で切断した人が、まだ腕があるように感じることです。これも身体地図の中の感覚として残っているからでしょう。
ここまでの話ならそれほど「不思議」とも感じない、人間が当然持っている生物としての能力だということで終わりなのですが、前述した通り、それだけで終わりの話ではなく、これが人の精神状態にも大きく影響するということがあるのです。つまり、この身体地図を失う状況になると、同時に精神の安定も損なってしまうようです。もちろん、精神の安定を失うから、身体地図を失ってしまうのか、その逆なのかは「鶏と卵」になってしまいますが、そこはおそらくバランスという意味では「同列」なのだと思います。
この「身体地図」なるもので興味深かったのは、確か(記憶が少々曖昧…)「ブラック・ルーム」という実験の話です。
どのような実験かと云いますと、心身ともに健全な被験者を真っ暗な部屋に入れます。この部屋は真っ暗なだけではなく、「熱くも寒くもなく」「湿度も快適」「何の音もしない」、外界の刺激というものから完全に遮断された空間です。
その部屋、ブラック・ルームに入れられた被験者は皆、最初は「かなり快適な空間」と感じるようです。そして、ほぼ全員が寝てしまうそうです。しかも熟睡。夢は見るようですが。しばらくは寝て起きてを繰り返し、快適な状況に爽快感さえ覚えるようです。
しかし、それが1日以上(個人差はあるでしょうね)経つと、今度は何故か「不安感」に襲われ始めます。どうしてそうなるのか、本人には分からないそうですが、次第に不安感が増してゆき、それが「恐怖」に近い感情に変わっていくそうです。
当然、実験ですから、被験者の安全は確保して行われますけど、その「恐怖」はやがて「情緒不安定」「神経症」的な症状を見せ始め、そこまでは行かないでしょうが「発狂」の可能性さえあるそうです。
何故でしょう? 最初は「快適」「爽快」とさえ感じていたのが、どうして「不安」「恐怖」といった感情に変化してしまうのか。
結論から言えば、原因は「身体地図の喪失」だそうです。被験者はその殆ど(例外は無かったような…)が、最初の快適さから「不安・恐怖」へと至る過程で、自分が今「どのような格好をしているのか」が分からなくなるそうです。下を向いているのか、上を向いているのか、手はどこにあるのか、足はどういう格好をしているのか…。挙句には、外部と自分の境、自分の身体が「無くなったような」感覚に陥ってしまうようです。
これは想像するしかないのですが、「自分がいる」というのは、「目で見て」という直接的なことよりも、脳が総合的に感じているのでしょう。もちろん視覚的なものも重要でしょうが、音とか、熱い寒いとかといった「外部からの刺激」によって、「自分という存在」を生理的に認識しているということです。ブラック・ルームの中でその「外部からの刺激」を全て失った時、「自分という存在」の認識である「身体地図」を失ってしまうのだと考えられます。
その「外部からの刺激」とは「ストレス」です。つまり、よくストレスは「悪者」扱いされますが、それは「過剰」なストレスで、生物としては適度なストレスがないと「身体」というか、「統合された精神活動」に不具合を生じてしまうのでしょう。
「引きこもり」と、この「ブラック・ルーム」の本質は違うと思います。「引きこもり」は過剰なストレスからの緊急避難がその殆どの原因ではないかと推察します。その後どうなるのかは個々人しだいです。
「人の存在」とは哲学の永遠のテーマでしょうが、その存在を支えているのは「外部からの絶え間ない刺激」ということになります。デカルトの「吾思う、故に吾あり:コギト・エルゴ・スム(Cogito,ergo sum.)」の言葉は、「私は世界を感じ、世界に向かって考えている。だから私は存在する」とでも訳せば、まさにこの「身体地図」を健全に保っているということなのでしょう。まあ、そんなに単純なものではないと思いますけど…。
ちなみに、WEBで見かけたのですが、「身体地図とは車両感覚のようなものでしょうか」という質問がありましたが、違います。もちろん「身体地図」を失えば自動車は運転できませんが、正確には「車両感覚(あらゆる運動)は身体地図によって把握されている」って所でしょうか。
ところで、私は自慢したいほどの方向音痴ですが、もしかして身体地図が間違っているのでは…。

午後まで

惰眠を貪っていた。
「規則正しい生活」という観点からは「悪」とされるのだろうが、結局こうすることがいちばん疲労解消に有効な気がする。

リハビリ革命

2018年12月11日 (火)

趣味嗜好

なんて当然人それぞれなわけで、そこに「正しい」も「間違い」もありゃしない。ありもしねえもんをあるように主張するから無理が生じる。

脳の可塑性

経験に応じて脳は変化する――。今では当たり前に思えるだろうが,脳が自らを再構成する能力には,もっとドラマチックな意味がある。
 手術や薬の助けを借りるまでもなく,脳は一生を通じていつでも大きく改変できる。必要となれば,脳の各領域は以前とは異なる課題をこなすようになる。ある領域が機能障害を起こしたり傷ついたりした場合,別の領域が代役となって失った部分の役目を果たすことができる。こうした役割分担の変更は,脳梗塞によって言語・運動機能を失った人や脳性小児麻痺患者,指を1本ずつ動かすことができなくなった音楽家や作業員,強迫神経症患者や読字障害患者などで見つかっている。知的にも肉体的にも厳しい訓練を重ねることによって,彼らは失われた機能を取り戻した。
 なぜこうしたことが起きるか。それは脳に可塑性があるからだ。化学物質の変化から新しい神経細胞(ニューロン)の形成,より大きな領域で起きる神経回路の再配線まで,脳内で起きるあらゆる変化を指す。
 かつては,遺伝子によって描かれた脳の設計図があり,脳はそれに基づいて形作られると考えられていた。しかし脳内地図は大きく変化する。障害を乗り越えられたのは,患者の脳内地図が変化したことを示す。
 こうした訓練は小児麻痺などの影響で読字障害になった子供にも効果があったとの報告もある。一部の科学者はさらに訓練やゲームによって統合失調症や自閉症,加齢に伴う物忘れを改善できるかどうかを調べている。今のところ,結果は公表されていない。しかし,そのアイデアが実を結んだら素晴らしいに違いない。

拡張する身体


確定した「人間本来の身体」像を遺伝子の中に求めることは難しそ
うである。しかしたとえそうであっても、我々は日ごろ、自分の身体についての何がしか
の所有感を持っている。たとえ私の身体のあり方は、客観的には環境に応じて大きく変わ
り行くものだったとしても、それは私にとっては常に変わらず安定した一つの対象であり
続けるように感じられる。この主観的な所有感のもとになっていると考えられているのが、 身体図式(body schema)といわれる、脳内の身体表象である。 身体図式は、頭頂葉、運動前野腹側部、体性感覚皮質、島皮質などを含む広範な神経回 路網によってコードされると考えられている(Homes & Spence 2004, Berlucchi & Aglioti  1997)。とりわけ重要なのは頭頂葉であり、この領域への障害は自己の身体感覚を大きく変 えることが分かっている。たとえば身体失認の患者は、自分の身体の特定部位、例えば左
腕が相変わらずもとの位置についているにも関わらず、それが自分の腕であることを否定 したり、あるいはそれが誰か他の人の腕であると主張したりする(Graziano & Botvinick 2002)。また同様の部位を損傷することにより、過剰肢(身体部分が実際よりも多くあると 感じる)が生じるという報告もある。驚くべきことにこの患者は、あたかも腕や足が 3本 以上あるかのように、自分の肢の数を多く見積もるのである(Halligan et al. 1993, Sellal et al. 1996)。 以上の脳領域は、どのように身体表象をコード化しているのだろうか。これらの部位に
は、体性感覚や視覚などの複数の感覚情報に反応するバイモーダルニューロンが存在する。
これらのニューロンは特定の受容野を有しており、一定の空間内の刺激に応じて発火する
のであるが、この受容野の範囲が異なった感覚のモードを通じて共通しているのである。
例えば、右手の触覚に反応するバイモーダルニューロンは、右手周辺からの視覚刺激に良
く反応する。現在では、身体部位近傍からの複数の感覚刺激を統合するこうしたニューロ ンが、身体図式の基盤になっていると考えられている(Maravita et al. 2003)。 脳内の多くのニューロンが可塑性を有しているように、これらのニューロンも、環境と
経験による再編を受けている。実際、成長過程において、身体図式は身体の拡大にともな
って広がらなければならないだろう。しかしこうした身体感覚の変更は、もっと短期的な
間にも起こりうる。つまり我々の身体は、その主観的側面においても、確定された不変的 なものなのではなく、経験によって様々に変化しうるものなのである。 身体図式の柔軟性を示すものとして注目されているのが、道具の使用である。入來らは、 ニホンザルを用いた実験で、道具の使用が身体図式を変えることを示した(Iriki et al. 1996,  Maravita & Iriki 2004, 入來 2004)。この実験では、道具を使用していないときと使用してい るときで、サルの身体図式をコードするバイモーダルニューロンがどのような受容野を持
つかが調べられた。その結果、道具を使用しているときは、本来手の近傍のみに反応して
いたバイモーダルニューロンの受容野が、道具の先端を含むように広がることが分かった。
4

身体図式

身体図式という術語は、心理学、神経科学、哲学、ロボティクスで広く用いられ、心や意識の身体性、感覚運動統合を論じる上で重要な概念である。一方で異分野間、研究者間で身体図式の確立した定義について合意が得られていない。これまでのところ、身体図式には次のような特徴があると言われている。身体図式は、
再帰的な意識、自覚を必要としない。身体運動を意識下で調整している主体である。したがって、ひとが身体図式に対して顕在的な知識を持っているとは限らない。
サル、ヒトの脳に共通して、大脳皮質の頭頂葉連合野および運動前野が身体図式に関わっている。ヒトでは特に頭頂連合野の損傷によって、身体図式の障害が起こる。
身体図式は変容する(可塑性を持つ)。日常的には、ある道具の使用に熟達すると、私たちは道具を持っている手そのものではなく「道具の先端」で対象を感じがちである。身体図式は感覚運動学習の結果、あるいは実験的に作り出された錯覚によって、一時的に変容させることもできる。
意識下で作動する身体図式は、身体イメージとは区別される (body image)。身体イメージとは、「私は、身長170cmで、瘦せ型である。大きな耳を持っている。」というような顕在的な自己身体に関する知識を指す[2] [3]。自己概念としての身体と区別して、潜在的な身体図式の存在を主張する根拠とされてきた現象が、幻影肢である。幻影肢とは、戦場での負傷や交通事故などによって、四肢を切断する手術を受けたひとが、既に存在しないはずの手足の末端に痛み(幻肢痛)やかゆみを感じる現象を指す。幻影肢は、特に手足の切断手術の場合は90%以上という高い頻度で出現するが、 四肢に限らず、顔面、乳房、耳、内蔵など身体のどの部分でも生じ、時間の経過とともにほぼ消失すると言われている。

ボディ・イメージ

自己の身体に関する空間的な心像のことで、身体像と訳される。身体的自我、身体的図式(シェマ、スキーマ)などと類似の概念である。ボディ・イメージの研究は16世紀にパレが四肢の切断後に出現する幻肢(げんし)を観察したことに始まる。自分の身体も外部の対象と同じように認識の対象となる。外部の対象は見られ、触れられるものであるが、自分の身体はただ見られ、触れられるものであるだけでなく、その対象自身が見られ、触れられていることを感じ取る主体でもある。こうした身体知覚の二重の働きから、自分の身体の認識は、自我をつくりあげる基になっていると考えられる。フロイトは、自我は究極的には身体感覚から、それを支えにして身体の表層に由来する感覚から生まれるという。もちろん、自分で自分の身体を全体として統一的に認識することはできないから、身体像は部分的なものになる。身体像が鏡像的に、あるいは他者との対比からつくられるとき、身体像は全体的なものになってくる。いずれにしても、自我の形成にとって重要な意義をもつものである。心身医学においては、神経性無食欲症(拒食症)に身体像の障害が指摘されており、身体像や身体自我のゆがみが病因の一つとして注目されている。[外林大作・川幡政道]
『W・ゴーマン著、村山久美子訳『ボディ・イメージ 心の目でみるからだと脳』(1981・誠信書房) ▽P・シルダー著、秋本辰雄・秋山俊夫編訳『身体の心理学――身体のイメージとその現象』(1987・星和書店)』
自分の身体も外部の対象と同じように認識の対象となる。外部の対象は見られ、触れられるものであるが、自分の身体はただ見られ、触れられるものであるだけでなく、その対象自身が見られ、触れられていることを感じ取る主体でもある。こうした身体知覚の二重の働きから、自分の身体の認識は、自我をつくりあげる基になっていると考えられる。
そう考えれば「自分は自分。他者との比較など無意味」などというJポップ的警句は、それこそ陳腐で無意味ということになる

口を開けば

おかしな理屈で妻を苦しめてしまう。それは俺の本意じゃない。

身体失認

身体 失 認(asomatognosia)、 あ る いは 身 体 図式 障害
(disorders of body schema)と は、 自己 の身体 に対す
る空 間的 な認知 の障害 と定義 され る。この概 念の 背景 には、
身体 に対 す る空 間的 イ メー ジ 、身体 各部位 の相 互 関係の認
知 と いった統 合的 認知機 能(身 体 図式body schema、 身
体心 像body image)が 存 在す る という仮説 が あ る1)。
以下 に述 べ る身体 失認 の多 くは、臨床 的 には決 して 稀な も
の では な い。 しか しなが ら、高 次認 知機能 障害 としての位
置付 けの妥 当性や その発現 機序 につ いて は議論が 多 い。
身 体 失認 は、 片側 身 体失 認(hemiasomatognosia)と
両 側性 身 体 失 認(bilateral asomatognosia)と に大 別 さ
れ る。前 者 は半側 身体 に対す る認知 障害で あ り、後者 で は
認知 障害 が両 側半 身 に及ぶ。 類 似す る症候 で はあ るが、そ
の成 立基 盤 はか な り異 な り、両 者は 明確 に区別す べ き と思
われ る。表1に 、 主な身体失 認 を整理 した 。

高円寺の商店街

が、懐かしいねという話を芝居仲間としたのが頭に残ってて、そういや以前、妻とも一緒に行ったことがあったなあと思い、もう一度行ってみようかと誘いそうになった。その瞬間、まるっきりフツーに電車に乗って歩いて行くつもりで。これも「病態失認」の一種ってことになるのだろうか? いずれにせよ、スタスタと歩く速さで後方に流れていく景色の記憶が鮮明に残っている。

余計なお世話

知りもしねえくせに肥大した自己愛満たすためにきいたふうな口きいて甘い見積回してくるんじゃねえよ。いちいち斥けるのも手間なのだ。

黙って通り過ぎりゃいいものをいちいちイッチョカミしたがる。鬱陶しいったらありゃしねえ。

厚顔無恥

よりによって朝日新聞がよく言えたもんである。厚顔無恥とはこのことだ。

体力が

著しく低下していると感じる。日常生活の中で「運動」らしい運動は一切してない(できない)わけだから当然といえば当然なのだjけど。何か対策を考えないと。

2018年12月10日 (月)

うっかり

眼鏡をかけたまま風呂に入り、そのまま顔を洗ってしまった。

敷衍

https://kotobank.jp/word/敷衍-616360 [名](スル)《「衍」はのべる意》 1 おし広げること。 「それを種にして、空想で―した愚痴」〈宇野浩二・蔵の中〉 2 意味・趣旨をおし広げて説明すること。例などをあげて、くわしく説明すること。「教育問題を社会全般に―して論じる」

生活に不自由が

ないかと問われれば、あるにきまっている。しかしそれが「退院前に比べて」という意味ならば、何一つない。

アースシェイカー『fugitive』

シャラの指に見とれてしまう。

ラウドネス『dreamfantasy』

結構苦労してTAB譜をゲットしたけど、結局弾けずじまいだった。

去年の今頃は

と、どうしても今の生活と入院中のそれとを比較してしまう。後者の方が良かったことなど、少なくとも俺自身にとって何一つない。とりあえず今は寒くないし、あったかいコーヒーが好きなときに好きなだけ飲める。朝の六時にたたき起こされることもない。

ガラス戸に

いつか手をついて、あるいは頭から突っ込んで、突き破ってしまわないか心配だ。

結局のところ

病院職員の目を盗んで病棟の片隅でしたルール違反の自主トレこそが日常生活の役に立っている。当時直感的にそう思ったとおり。

ある尊敬する小説家が

思いついたらすぐに書け、今すぐにだ。というから、真に受けて夜中でも起きてPCを起動して書くということを以前は日常的にやっていて、おかげで眠りが浅くなり、自律神経が乱れたと思っていたが。ゆうべは寝ながら頭の中で文章を反芻していてすっかり疲れてしまった。だったら夜中に起きて、書いてしまった方がすっきりするな。

痛み

左手が痛む。爪が食い込んでいるのかと思ったがそうではなくて、内側からきてるものらしい。
かかりつけの医者に言ってもどうせまた「いつもどおり」の薬を処方するのみで問題解決しないだろう。そもそも「問題」を解決しようって気があるとも思えない。
亜脱臼の肩の痛みも相変わらずで寝る姿勢にも悩むほどだ。

2018年12月 9日 (日)

深夜ラジオを

がっつり聞いた。受験勉強のとき以来だから30年ぶり(それ以上)か。

入浴

トイレはもとより、風呂も介助なしでひとりで入れている。 これができるとできないとじゃ大違いである。

風呂に入るので着替えを取りに行った。
着替えを手に持ってしまうと、杖が持てないんだ。

連結決算

妻がテレビ見て笑ってる。
良きこと也。
喜怒哀楽は夫婦で連結決算なんだ。

惰眠

を貪るばかりで無駄な一日を過ごしたが、起きてりゃべつに何をするわけでもないのにヒーターをつけてもらったりして余計なお金がかかるし、ただ立ってるだけでも転倒リスクを孕んでしまうわけで、だったら相対的に寝てた方がマシだったりする。

それができれば

誰も苦労してねえよっていう戯れ言に付き合ってやる暇も体力もないんだ。

風が

ひゅうひゅういっている。
18歳まで群馬に住んでいて、群馬といえば「空っ風」だけれども、昨年上演した芝居は群馬を舞台にしていて、この「空っ風」は音響で処理するにしても、そのニュアンスをト書きでうまく表現できなくて、できたとしても、それが本番でどういうふうになるか、わからないから、だったら自分で音づくりからオペまでやってしまえ、と思ったわけだ。
そしたら小屋入り目前で入院してしまい、照明スタッフが急遽代役で音響もやってくれたのだけど、たまたまオールマイティに裏方ができる人がだったからで、普通はこうはいかない。

男手

1 男の労力。また、男の働き手。「男手だけで育てる」「男手が欲しい」⇔女手。
2 男の書いた文字。男の筆跡。男文字。⇔女手。
3 《昔、男が多く用いたところから》漢字。真名(まな)。男文字。⇔女手。
「―も女手も習ひ給ふめれ」〈宇津保・国譲上〉
重い荷物を運んだり、危険を伴う作業であったり、そういうときに動員される「男手」の持ち主である状態は見条件に一生続くのだと思っていたし、いざとなりゃそいつを労働力として売って金に換えればなんとかると高を括っていた。

その口から

吐かれた言葉を自分自身に向けてみろっていうんだ。

『フランス革命の省察』のエドマンド・バークを思い出すね。

自由

無責任な言説で他人が害を被っても自分は「自由」の美名の下にお咎めなしであるという気楽さが保証されていると思っているらしい。

今の心境

だからこそ書けることもあるはずだ、と友人が言う。

それはそのとおりだけれども、せいぜいブログレベルの駄文の話である。「創作」ってそういうもんじゃない。
書斎の本棚のどこかにあるハズの古い科学雑誌に書いてあった一節が頭に引っかかっていて、新しい戯曲を書きはじめる前に、再読しておきたいなと思う。けれども、そいつを引っ張り出してページを捲り、当該箇所を探し出すことすらできない身体になったのである。すなわちそれは「書けない」ってことだし、だから死んだも同然というのである。
しかし友人の真意は別の所にあるともわかっているんだ。病前の「常識」を相対化する契機とせよってことだろう。それができてはじめてモノカキとして病を「克服」したことになる。

4時

枕元の目覚まし時計に目をやったら4時。3時まで深夜ラジオを聴いていた記憶はあって、だから一時間ばかりうとうとしたのかと思ったら夕方である。つまり丸一日惰眠を貪ったわけだが、眠りが浅かったのか、あまり「よく寝た」という感じがしない。妻はどこかに出かけたようだ。手術の後には十日間も眠り続けたのだから、その要領でいっそ、寿命の果てまで眠らせてくれればいいのにとも思う。

2018年12月 8日 (土)

2010.8@旭山動物園

201081

太田

1 2_2

伊香保

345

伊香保2

2

伊香保

Photo

2008.12@草津2

2008122

2008.12@草津1

2008121

そしてどっかの誰かが言ったことを引き合いに出し、それを覚えていた己の暗記力をドヤ顔してひけらかすことでは断じてない。

オンラインアルバム

紙焼きの写真をスキャンしてオンラインアルバムに保管しているのだけど、

紙のアルバムを捲るのさえ困難なのである。
思い出にアクセスすることさえ許されないのか。

2010.8@旭山動物園

20108_3

2010.8@美瑛

20108_2

OYASUMI1991チラシ裏

0008

パターナリズム

パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のためによかれと思ってすることから来ている。日本語では家族主義、温情主義、父権主義、中国語では家長式領導、溫情主義などと訳される。語源はパトロンの語源となったラテン語の pater(パテル、父)である。
実力が無い、または劣ることが判明しても即解雇にはならない雇用制度や、成果よりも企業への在籍期間で出世や給与が決まる年功序列制度の企業のように労働者を子として面倒を見ているような企業運営を経営パターナリズム、 経営家族主義とする[1]。医者と患者の関係ならば、パターナリズムは患者の利益(生存、健康)を保護するためであるとして、医者が患者に干渉し、その自由・権利に制限を加えることである。医療では温情を受ける者が正しい選択肢を選べるとは限らず、幼児を含む未成年者、中毒(依存症)に陥っている者や自傷行為・暴力的言動をする者への干渉は認められることが多い[2][3]。

肩が痛い

のだ。亜脱臼のため。入院中からずっとそう。
今かかりつけの医者に言ったら、ケアマネを通してリハビリしろという。
ケアマネに言ったら近所の整形外科を列挙するのみ。
そんで整形外科を受診したらレントゲン撮って「肩の関節が緩んでますね」とハナから分かりきったことを言うのみ。何のタシにもなりゃしねえ。
なんとかならんもんかね。

不随の

半身を引きずってどうにかこうにか生きている。これが死ぬまで続くのだ。
まったく鬱陶しい話である。

さくら学院

下肢装具

入院中にけっこうな金をかけて作らされたけれど、退院してから全く使用していない。なんだかなーという感じである。
Sogu

創作にかんする

「雑談」をできる相手がなかなかいないのがなんともねえ。せめて学生時代、北大文芸部にいた頃のような環境であればと思うのだけど、そういう環境作りをしてこなかった報いである。というか、そういう活動をこれからやろうとしてた矢先の発病だから。

Marinaganbare

20180806@稲田堤

Saize

阿呆なおっさんの

暗記自慢にはうんざりです。

主人が脳出血で半身不随の状態です

執筆

ほんの少しだけ原稿書き。それで疲れてしまう。創作ってSNSなんかに駄文を書き散らかすのとはぜんぜん勝手が違うのだ。アタリマエだが。

札幌駅

そうそう、昔の札幌駅ってこんなだった。懐かしいな。

脳出血

   脳梗塞と脳出血は、ともに脳血管の異常によって起こる病気で、これらを合わせたものが一般に脳卒中といわれています。脳梗塞は昔は脳軟化といわれ、脳出血は脳溢血といわれていました。 脳卒中は日本の厚生省の統計では脳血管疾患として分類されています。以前は日本の国民病といわれるほど多いものでしたが、その後徐々に減少してきました。しかし現在も悪性新生物(癌)、心疾患、肺炎に続き、我が国の死因の第4位を占める重大な病気です。脳出血は脳内出血とくも膜下出血があります。くも膜下出血は別の項に書きましたから、そちらを見て下さい。
ここでは脳出血について書きます。脳出血は一般的には高血圧性脳出血を指しますが、若い人の脳出血は脳動静脈奇形(AVM)からの出血が多く、高血圧性脳出血とは全く違った病気です。
被殻出血では出血と反対側の手足が麻痺し、感覚も障害されます。被殻のみの小さな出血では本来麻痺は起こりません。殆どの場合被殻から少し外側にある内包へ出血し、その部分の障害で運動麻痺と感覚障害がでます。出血が大きいと、顔と両目が出血した側(手足の麻痺が左なら右側)へ向いて自分では治せない状態になり、意識障害が進んできます。右利きの人は言葉を理解してしゃべる機能が左の脳にありますから、左の脳出血が起こると、利き手の右手の麻痺だけでなく言語障害(失語)が起こり、言葉がしゃべれなくなることがあります。
 視床出血では運動麻痺も起こりますが、感覚障害が強く出ます。慢性期になって出血と反対側の手や足が非常に痛くなる場合があります。これは視床痛といい、鎮痛薬が効きません。この場合定位脳手術といって特殊な手術を行う場合があります。それ以外に視床出血では左右の目の位置がおかしくなります、寄り目になったり、両目が下に向いて動かなくなったりします。左側の視床出血では言葉もしゃべれなくなることがあります。高齢者に多い病気で、寝たきりの原因となり、痴呆にもなり易い病気です。
 小脳出血は突発する頭痛、嘔吐、めまいが起こり、立ち上がるとふらふらして歩けません。小脳出血のめまいは非常に強いもので、ずっと続きます。最初のうちは意識障害はありませんが徐々に意識障害が起こり、呼吸状態が悪くなってきます。小脳出血の場合は早いうちに手術すると改善しますから、呼吸障害がひどくならないうちに手術することが必要です。
 橋出血では重症例が多く出血の最初から意識障害、呼吸障害、四肢麻痺(両手足が動かなくなる)が起こります。目も固定し、上下にずれたりして見るからに異常です。また瞳孔(黒目の真中)が非常に小さくなります。瞳孔の大きさは脳の病気の時には非常に重要で、意識障害で、瞳孔が5mm以上に開き、光を入れても縮まない場合は危篤状態です。橋出血は以前はすべて重症と考えられていましたが、症状が軽いものでCTやMRIでみると小さな橋出血が見つかる場合が増えてきました。

2018年12月 7日 (金)

高次脳機能障害

無駄な

調整コスト負担の理不尽さに疲れてしまうんだ。

明大前

いつのことだったか、何の目的だったか、忘れてしまった。たぶん劇場を探してだろう、京王井頭線の明大前駅あたりを彷徨いまくったことがある。
そのとき目にした光景が、なぜだか不意に思い出されるのである。

滑り止めマット

を浴室に敷いていたのだけど、マットじたいが滑ってしまうのでかえって危ないと感じ、使うのを止している。

かろうじて

生きてはいる。でもそれだけだ。

Yozora

ポメラの単三電池を

充電しながら思い出した。入院中、一度だけ売店で買い物したことがあって、それはポメラのためのアルカリ単三電池だったのだ。

新しい血圧計

が届いた。
20181207

何が

身体に悪いって、「書く」ことぐらいストレスで自律神経を乱すことはないなと感じる。

ハイデッガーの「現存在」について

2018年12月 6日 (木)

反動

咳をしたりくしゃみをしたり、その反動で転倒しそうになってしまう。つか実際、コケてしまった。

自発的リハビリ

ビュッフェスタイル

の店に俺が行けば、自分で料理を運べないのだから他人の手を煩わせてしまう、そんなことはあらかじめわかっているのだし、てそのことこそが自分にとって何より煩わしいのであるから回避可能なら回避すべきなのである。

全体像

会計の細かなことまで理解する必要はないが、
全体の構造くらいはイメージした上で四の五の言えよとは思う。

冥途毛布

と我が家で呼ばれてるシンプルな毛布、ピタパタの『冥途』公演で小道具として使用したからそう呼ばれているのだけど、そいつを書斎に持ち込んで膝掛けとして使いながら今これを書いている。

Meidomohu

OYASUMI1991

0010

面白い


[形][文]おもしろ・し[ク]《もと、目の前が明るくなる感じをいった語》
1 興味をそそられて、心が引かれるさま。興味深い。「何か―・いことはないか」「仕事が―・くなってきた」「この作品は―・くなかった」
2 つい笑いたくなるさま。こっけいだ。「この漫画はなんとも―・い」「―・くもない冗談」
3 心が晴れ晴れするさま。快く楽しい。「夏休みを―・く過ごした」「無視されたようで―・くなかった」
4 一風変わっている。普通と違っていてめずらしい。「―・い癖」「―・い声」
5 (多く、打消しの語を伴って用いる)思ったとおりである。好ましい。「結果が―・くない」
6 風流だ。趣が深い。
「月の―・きに、夜更くるまで遊びをぞし給ふなる」〈源・桐壺〉
[派生]おもしろがる[動ラ五]おもしろげ[形動]おもしろさ[名]おもしろみ[名]
[用法]おもしろい・おかしい――「おもしろおかしく話す」「おもしろい(おかしい)形の木の根」のように、滑稽(こっけい)な、奇妙な、の意味では、相通じて用いられる。◇「おもしろい」は、「おもしろい小説」「仕事もだいぶおもしろくなってきた」のように、その内容が(話し手の)興味をひく場合に用いられる。◇「おかしい」は、「何となくおかしい作品」のように、形式その他が風変わりだ、調和的でない意を表し、また、「先月来、からだの調子がおかしい」「彼が勲章をもらうなんてちゃんちゃらおかしい」と不調・不審の用法に及ぶ。これらは「おもしろい」に置き換えられない。◇「おもしろい試合」は、緊迫した内容の試合であり、「おかしい試合」は、普通でない変な経過、珍プレーのある試合ということになる。
一口に「面白い」といったってこれだけ様々なニュアンスを含むのである。

気になった本を一冊、

本棚から抜き出してパラパラページを繰ってみる。
ほとんど無意識にされるそんな何気ない所作も、いくつもの複雑な運動の織物(テクスト)の上に成り立っているのだと痛感させられる毎日なのだ。

調整コスト

それでもその調整コストを負担した先にそれなりのベネフィットがある場合はまだマシだ。何の利益ももたらさないのにただただめんどくせえだけっていう場合があるわけです。そういうのは距離を置いてフェードアウトするのが吉。関係をズバッと切ると、勝手に被害者意識をこじらせて、それはそれでまためんどくせえからね。

ゆい

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パニック障害

を疑似体験した(つもりでいる)。車椅子でひとりで電車に乗ったときの逃げ場のない孤独感がそれであろうと思う。

血液検査

今月はまた血液検査なのだ。検査ばかりで肩の痛みのひとつ解消しない。いったい何のための診察か。
これにかんして空想的な屁理屈が言えないわけじゃないが、そのことが妻を苦しめてしまうので自重している。その屁理屈こそが芝居書きとしての燃料なのだけど。

戯曲の体裁を

採るために独白に馴染む内容を無理に対話形式にするより、いっそ小説にしてしまった方がいいとも思うが、そこを「無理」のない感じでやるのが劇作家としての腕の見せ所じゃないかとも思ったりする。

十日間

眠り続けたという。しかしそんなことってあるだろうか?
深夜に床について翌日の午後に目覚めたってあまりに眠りすぎたと思うものだ。

2018年12月 5日 (水)

大掃除

病前だったら今くらいから深夜に俺が少しずつ、台所の換気扇やら洗面所の鏡やら風呂の排水溝やらの「大掃除」をやったものだが、そんな芸当ももはやできない。

プロフ

Prof13

保護責任者

特定の人について保護する責任のある者。親権者・扶養義務者のほか、交通事故の加害者、被保護者と契約している保育士、雇用主など。
[補説]無関係の第三者であっても、被保護者への保護を開始した者は保護責任者とみなされる。例えば、事故・災害などのけが人を引き取って搬送中の善意の一般人など。

亜脱臼(incomplete dislocation)

完全に脱臼はしないが、脱臼しそうな状態となること。外れかけるが自然に骨が戻る。戻った後1週間程度は痛みが持続する場合がある。不完全脱臼とも。*1*2

ストレスが

よくないってことだけど、何がストレスってホン書くくらいストレスかかることはない。

20181205

整形外科へ。帰りにファミレスで久しぶりにタンメンを食う。
一昨年の冬はしょっちゅう食っていたものだが。
Tanmen

医療や看護を受ける高齢者の 尊厳を守るためのガイドライン

いなだ整形外科ひふ科

〒214-0001
神奈川県川崎市多摩区菅4-3-35 セリシール ミツ 1F 
(京王稲田堤駅徒歩1分 クスリのナカヤマさん隣)
TEL:044-299-8730
FAX:044-299-8731
■診療科
整形外科・皮膚科・リハビリテーション科
■受付時間
平日
午前
9:00~12:30
午後
14:00~18:00
(皮膚科の平日最終受付は17:45です)
土曜日
9:00~13:00
※ 駐車場2台完備、専用駐輪場あり
新しいホームページは現在準備中です。

温泉に

でも行こうよ気晴らしにもなるし、と友人が誘ってくれたが、とてもじゃないけど無理である。ありがたいとは思うけれど。温泉どころか、ユニットバスでも難しいのだ。
31990449

どうしても

シャミッソーとシュニッツラーを混同してしまうんだ。

権威主義

こういうふうに考えられる、と示した前提から結論に至るロジックの軌跡を理解せず、誰かの言葉をを持ってきてどや顔し、権威主義で「反論」した気になってるからバカだと言うんだ。

居間と書斎

を行ったり来たり。
たいした距離ではないけれども、たったそれだけのことが、骨が折れるのである。

2018年12月 4日 (火)

PCのドライバ

がらみのトラブルで時間を取られまくっている。まったくもう!

悲観的なことを言って

妻をうんざりさせるつもりはないんだ。

チューリップ

急に聴きたくなってラックの奥から探し出した。
Tulip

残像

いったい今の自分に「実体」があるのだろうか?2017年秋の残像を生きているような気がする。

だらしなさ

自分で決めたルールに従って何でもかんでもきれいさっぱり処分してしまう必要はないだろう。ルールから逸脱したものを受容するある種の「だらしなさ」も必要なのだ。

20180910@京王稲田堤

20180910

20181003@矢野口駅

20181003

去年の今頃は

年末年始に一時帰宅するかどうかでゴチャゴチャもめていた。「する」方向に傾いて、送迎の段取りを友人と調整しはじめてもいた。結局は帰宅の許可が出なかったのだけど、今年はずっと家にいられる。入院中、妻が面会に来てくれることだけを楽しみにしていた日々も今は懐かしく思い出される。

チューリップ『愛は戻れない』

女が「あの角」を曲がる後ろ姿に「別れ」を象徴させているわけだ。女の姿が「あの角」に消えたときが、この歌の主人公にとっての「別れの瞬間」となるはず。 そういう意味ではマルセルデュシャンのいうように「死ぬのはいつも他人ばかり」ではないだろう。生物としての己の「死」を具体的な何かで象徴=物語化し、認識できるはずだから。

一日中

惰眠を貪っていた。浅い眠りで長い夢を見た。内容は覚えてないがなんだかガチャガチャ騒がしい夢。
Photo

一日中

惰眠を貪っていた。浅い眠りで長い夢を見た。内容は忘れてしまったけれど、なんだかガチャガチャ騒がしい夢。

2018年12月 3日 (月)

可処分時間

何をするにも普通の人の何倍も時間がかかり、しかも事前準備が必要で、可処分時間がうんと少ないのである。その意味で、死んだも同然なのだ。

三浦雄一郎

すごいな。 学部は違うが、大学の大先輩ということになる。

『オトカ』によせて


6年ぶりの再演である。
『オトカ』の初演は2011年3月。「日本の劇」戯曲賞2010最優秀賞を受け、文化庁主催「新進芸術家育成公演事業等」として、日本劇団協議会の製作により上演された。
ちょうど東日本大震災で上演中止が危ぶまれた。
地震のあったとき、私は家にいた。寝室の薄型CDラックが倒れないように両手で壁に押しつけつつ、このまま家が倒壊したら住宅ローンの残りはどうなるのだろうと考えていた。
死の恐怖というより生の恐怖。

初演のパンフレットに私は次のように書いている。
『不惑を過ぎてなお迷い続けている。興味の対象も日々移ろいゆく。それでも書きたい気持ちの枯れぬ限りは、書き続けていきたいと思う。さて、次は何を書いたら、よかんべか?』
それから自身の演出で6本の芝居をピタパタで上演した。
そのうち3本が私のオリジナル戯曲、2本が脚色、1本が他の作家の書き下ろしである。
6年でぐるっと一周したような気がする。
先のことはまるでわからないが、とにかく2周目に入る。

ピタパタ代表 今井一隆

自分で行う更衣動作

俺の場合、入院中、靴下を妻がドーナツ状にして持ってきてくれていた。今はそういう細工もせずフツーの靴下を自力で履いている。「慣れ」の問題である。

消えた

LINEのアカウントは原則として、1つの端末で1つのアカウントしか扱えません。そのため事前準備を怠ると、データを引き継げないどころかアカウントを作り直すことになってしまいます。
俺も「友達」消えました。まあいいやってほっといてますが。

本編+αがあるわけだ。大衆演劇なんかじゃ昔からあたりまえにあることである。新劇/小劇場系でも、ポストパフォーマンストークは今や珍しくはないし、らうちゃんほど知名度のある出演者が物販の売り子をやれば、販売物の売上に少なからぬ影響があるだろう。 そういう制作的な目論見は当然あっていい。べつに客は参加を強制されるわけじゃないのだ。本編の余韻を味わいたいという者は、さっさとそこから立ち去ればいいだけの話である。そのための時間的「余白」はあるわけで、つまり選択肢は提示されてあるわけだ。それを選び取る程度の主体性すらない阿呆(クレーマー)が、独善的お客様根性で、己の好みをあたかも普遍的な価値観のごとくいいつのり、それに全体が従うべきと「べき論」をぶちたがる。とてもじゃないがつき合いきれぬし、つき合う必要はない。 こういうのに限ってさして売上げには貢献しない(下手すりゃタダ券で潜り込んでいたりもする)。いらぬ肉体的精神的コストを主催者側が負担することになる。相手にするだけムダである。

エドマンド・バーク

https://ja.wikipedia.org/wiki/エドマンド・バーク
エドマンド・バーク(英: Edmund Burke、1729年1月12日 - 1797年7月9日)は、アイルランド生まれのイギリスの政治思想家、哲学者、政治家。「保守思想の父」として知られる。ダブリンで富裕なアイルランド国教会信徒の家庭に生まれ、1765年から1794年までイギリス庶民院(下院)議員を務めた。
トーリー党(後の保守党)に対するホイッグ党(後の自由党)の幹部を務めたため、バークを保守主義者ではなく自由主義者に分類する説もある。アメリカ独立革命運動を支持した一方、その後のフランス革命には反対した。反フランス革命の立場をとったので、彼はホイッグ党の保守派派閥の中で率先者となった。彼はこれを「旧ホイッグ」と呼び、チャーリー・ジェームズ率いるフランス革命支持派の「新ホイッグ」に反対した。
主著は1790年の『フランス革命の省察』(原題:Reflections on the Revolution in France)であり、この本は保守主義のバイブルとされる。フランス革命を全否定して、ジャコバン派の完全追放のため、革命フランスを軍事力で制圧する対仏戦争を主導した。また文壇に出るきっかけとなった論文の『崇高と美の観念の起源』は、英国で最初に美学を体系化したものとして有名である。ここでは「崇高美」というひとつの美意識が定義されている。
政治家としては、絶対王政を批判し、議会政治を擁護した。議会における「国民代表」の理念を提唱したり、近代政治政党の定義づけをおこない、近代政治哲学を確立した。文章家・演説家でもあり、バークの著作は今日でも英文学に重要な位置を占めており、イギリスの国会議員にはバークで演説を訓練するものが多い。
バーク保守主義はフランス革命により提示された〈社会契約〉ではなく、〈本源的契約〉を重視する。多年にわたり根本的に保持してきたものの中に〈本源的契約〉の存在を見、その表れである祖先から相続した古来からの制度を擁護し、それを子孫に相続していくとする政治哲学である。この故に、自然的に発展し成長してきた目に見えぬ“法(コモン・ロー)”や道徳、あるいは階級や国家はもちろんの事、可視的な君主制度や貴族制度あるいは教会制度においても、ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない“時効の憲法(prescriptive Constitution[注 2])”があると看做す。
合法的な残虐を犯した元インド総督の弾劾演説(1788年)では、「国民の大半の利益に反する法は、道理を踏まえた制度という性質を持たないから、権威を持たない。なぜなら、いかなる政体においても、真の立法者は国民であるからである。…法を究極的に基礎づけかつ動かすものは、国民の明示的ないし黙示的な合意である」として、適切かつ十分な人間の力と、国民に法的判断の権利や義務を持たせるための公正な憲法の必要性を説いた[1]。
バークはフランス革命を激しく非難する一方で1688年の名誉革命を支持する。これは1688年の革命が人民主権説による立場からのものではなく、イギリス古来の憲政政策原理(旧ホイッグ主義)に沿ったものであり、民族固有の所産であり、必然性(necessity)から起こった革命であり、革命によりそれが保持されたためである。1688年革命は王国の古来の基本的国家組織〈本源的契約〉に、国王の側から侵害があったことが原因であり、それを回復し保持するためになされたとする。
バークはまたフランス革命に影響されたホイッグの同僚たちが支持する〈不可譲の人民主権〉説を批判する。すなわち人民主権説によれば、人民は、違反行為のあるなしにかかわらず王を処置しうる。人民は、随意に、自らいかなる政体をも新たに設けうる。為政者は義務だけを負わされ何の権利ももたない。彼らの治政の存続期間は契約の固有の課題ではなく人民の意志次第である。また事実上〈社会契約〉がなされ、それが拘束するとしても、それは直接契約に関わった人々だけを拘束するのであって子孫には及び得ない。バークは〈社会契約〉のもつ契約性の欺瞞を糾弾し、〈本源的な契約〉とはそのようなものではないとする。
イギリス国民の個々が享受し相続してきた「自由」「名誉」「財産」は、この“prescriptive Constitution”の擁護において、また、世代を超えて生命を得ている慣習・習俗や道徳の宿る“中間組織(intermediate social-group)”、例えば家族、ムラ、教会コミュニティ等の擁護によって、守られると考える。これは社会契約論が唱える仮想された自然権が必然として要求するような種類の権利ではなく、現実のイギリスの歴史が自然と形成してきた摂理である。しかし同時にヒューム倫理学の系譜にのっとり経験論の限界にも言及しており、歴史から道徳上の教訓を引き出すことの危険性について「歴史とは、注意を怠れば、我々の精神を蝕んだり幸福を破壊したりするのに使われかねない」[2]とも述べている。
このようなバーク哲学において、人間の知力などというものは、祖先の叡智が巨大な山のように堆積している古来からの“制度”には及ばない、矮小で欠陥だらけのものとの考えがある。それゆえ「理性主義」、すなわちデカルト的な人間の理性への過度な過信を根源的に危険視し、慎慮を提起する。言い換えれば、個々の人間を多くの間違いを冒す不完全な存在と看做す、謙抑な人間観に基づいている。
文明社会が人間の知力で設計されたものでない以上、文明の政治経済社会に仮に、人間の知力や理性に基づく“設計”や“計画”が参入すれば、その破壊は不可避となり、個人の自由は圧搾され剥奪されるとする。実際に、このバーク哲学の思惟と予見どおりに、フランス革命は、人間の理性を絶対視し、既存の教会制度を否定し「理性の神」を崇拝した結果、フル稼働するギロチンに個人の生命を奪われ、革命権力の恣意に財産を奪われ、血塗られた無法地帯の阿鼻叫喚となった。

障害者差別?

障害者団体は、電動車いすが道路交通法上、飲酒を禁じられていない歩行者として扱われていることを根拠に「障害者差別解消法の不当な差別的扱いに当たる」と訴え、記述の削除を求めている。
これを差別というのなら「差別」がインフレを起こす。やがて、本当の不合理を改める(改めさせる)力も失うだろう。

餓鬼道LIVE/時の葬列~方舟の章 Vol.5 高円寺High 2015,11.08

RHYMESTER『ONCE AGAIN』

ハイデガーいわく

「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」

丸山圭三郎『ホモ・モルタリス』

Maruyamakeizaburo
…… 死の不安に怯える動物ホモ・モルタリス(死すべきヒト) ……
本能とは異なるコトバによって〈死〉をイメージ化し、死の不安と恐怖をもつ唯一の動物であるという意味では「人間だけが死ぬ動物」(ド・ヴァーレンス)かも知れない。しかし、同時に、「人間は死への自覚をもって自らを不死たらしめる」(ハイデガー)動物でもあろう。

入院中に

妻が面会に来てくれるのを待っていた、そんな状況も今は懐かしく思い出される。

2018年12月 2日 (日)

意識障害


人間の意識は、脳全体の機能の総合されたものですが、とくに脳幹部といって、意識の統合を行っている重要な部分があります。意識障害は、脳全体が障害された場合にも、脳幹部だけが障害された場合にも起きうるのです。
意識障害の程度は、目が開いていても意思の疎通が十分にできない「朦朧状態」から、うとうとしている「傾眠状態」、呼んでもつついても反応のない「昏睡状態」までさまざまで、臨床的には9段階あるいは15点満点のスコア表示を行って判断します。いずれにしてもこちらの呼びかけに対して、何らかの方法(言葉や身振り)できちんと反応できない状態は、すべて意識障害として扱う必要があります。なぜなら、意識障害がある場合、口から食物を食べさせるのは誤嚥や窒息を起こしやすく、大変危険な状態といえます。

高次脳機能障害の症状と対応

交通事故や脳卒中などの後で、次のような症状があり、それが原因となって、対人関係に問題があったり、生活への適応が難しくなっている場合、高次脳機能障害が疑われます。
<記憶障害>
記憶障害とは、事故や病気の前に経験したことが思い出せなくなったり、新しい経験や情報を覚えられなくなった状態をいいます。
【主要な症状】
  ・今日の日付がわからない、自分のいる場所が分からない
  ・物の置き場を忘れたり、新しい出来事が覚えられない
  ・何度も同じことを繰り返し質問する
  ・一日の予定を覚えられない
  ・自分のしたことを忘れてしまう
  ・作業中に声をかけられると、何をしていたか忘れてしまう
  ・人の名前や作業の手順が覚えられない
【具体的対応】
 ①新しいことを覚えるためには・・・
  ・一度に覚える情報を少なくし、反復・復習して、覚えます
  ・言葉だけでなく、五感を活用し、得意な記憶方法を用いて覚えます
  ・誤りをさせないよう、正しいことを繰り返し行う練習方法が効果的です
 ②環境を整えます
  ・行動をパターン化して、日課通りに行動するようにします
  ・いつも使う物は置く場所を決めて、使ったら戻す習慣をつけます
  ・大切な約束や予定は目に付く場所に書いておくようにします
③記憶の代償手段を利用します
  ・情報を記憶する:ノート、カレンダー、ホワイトボード、レコーダーなど
  ・行動の開始を助ける:タイマー、目覚まし時計など
  ・スケジュール管理:スケジュール帳、携帯電話のスケジュール機能など
<注意障害(半側(はんそく)空間(くうかん)無視(むし)を含む)>
注意障害とは、周囲からの刺激に対し、必要なものに意識を向けたり、重要なものに意識を集中させたりすることが、上手く出来なくなった状態をいいます。
【主要な症状】
  ・気が散りやすい
  ・長時間一つのことに集中できない
  ・ぼんやりしていて、何かするとミスばかりする
  ・一度に二つ以上のことをしようすると混乱する
  ・周囲の状況を判断せずに、行動を起こそうとする
  ・言われていることに、興味を示さない
  ・片側にあるものだけを見落とす
【具体的対応】
  ①注意散漫にならず、集中するためには・・・
  ・一度に多くの作業をせずに、一つ一つ行います
  ・集中する時間を少しずつ延ばしていきます
  ・興味のあることやなるべく簡単な作業から始めます
  ②環境を整えます
  ・何か行うときは、静かで、整理整頓した場所で行います
  ・注意事項は紙に書いて、目につく場所に貼っておきます
  ③注意の代償手段を利用します
  ・部屋の入り口や生活の動線に目印をつけ、注意を向けやすくします
  ・作業の手順を段階的に示した手順表を利用します
<遂行機能障害>
遂行機能障害とは、“論理的に考え、計画し、問題を解決し、推察し、そして、行動するといったことができない”また、“自分のした行動を評価したり、分析したりすることができない”状態をいいます。
【主要な症状】
・自分で計画を立てられない
  ・指示してもらわないと何もできない
  ・物事の優先順位をつけられない
  ・行き当たりばったりの行動をする
  ・仕事が決まったとおりに仕上がらない
  ・効率よく仕事ができない
  ・間違いを次に生かせない
【具体的対応】
 ①行動がスムーズに行えるようにするためには…
  ・指示は、具体的にポイントを分かりやすく伝えます
  ・時間に余裕をもって計画を立てるようにします
  ・自分が今から行う作業を言葉に出して、確認する習慣をつけます
 ②環境を整えます
 ・行うべき行動が目に見えるように張り出しておきます
 ③遂行機能の代償手段を利用します
  ・一つの課題を実施するための作業手順表
  ・自分で行動を開始するための、アラーム・タイマー
<社会的行動障害>
社会的行動障害は、行動や感情を場面や状況にあわせて、適切にコントロールすることができなくなった状態をいいます。
【主要な症状】
  ・すぐに怒ったり、笑ったり、感情のコントロールができない
  ・無制限に食べたり、お金を使ったり、欲求が抑えられない
  ・態度や行動が子供っぽくなる
  ・すぐに親や周囲の人に頼る
  ・場違いな行動や発言をしてしまう
  ・じっとしていられない
【具体的対応】
 ①やる気がない、自分から何かを始められない場合には・・・
  ・本人に対して「なまけている」と言わないようにします
  ・するべき活動や仕事のチェックリストを作って、具体的に示します
 ②感情のコントロールができない場合には・・・
  ・不適切な行動は怒ったり、叱ったりせず、はっきり指摘するようにします
  ・興奮している時は無理やりしずめず、席をはずしたり課題を変えたりします
 ③行動がコントロールができない場合には・・・
  ・何かを始める前には、立ち止まって考える習慣をつけます
  ・問題行動のきっかけになっている原因を探し、避けるようにします
 ④自分の障害に気付かない場合には・・・
  ・できないことばかり目を向けずに、できたことはほめるようにします
  ・一緒に落ち込まないようにします
・直接的に言わずに、本人が自分で気付くような機会を工夫します
<自己認識の低下(病識欠如)>
自己認識の低下とは、障害があるにもかかわらず「自分は病気ではない」「手足は麻痺していない、歩ける」と言い張り、実際にそう思っていることをいいます。
【主要な症状】
  ・自分が障害を持っていることに対する認識がうまくできない
  ・上手くいかないのは相手のせいだと考えている
  ・困っていることは何も無いと言う
  ・自分自身の障害の存在を否定する
  ・必要なリハビリや治療などを否定する
【具体的対応】
  ・信頼できる第三者をつくる
  ・同じ障害や問題のほかの患者と接し、意識的にも無意識的にもその患者を通し
て自分自身を認識する機会を持つ
  ・外部より指摘しすぎない
<失(しっ)行(こう)症>
失行症とは、指示された内容や行動の意味を理解しているにもかかわらず、その動作ができないことをいいます。
【主要な症状】
  ・道具が上手く使えない
  ・日常の動作がぎこちなくなる
・普段している動作であっても、指示されるとできなくなる
【具体的対応】
  ・できない動作にこだわらず、できる方法、現実的な方法を探す
  ・ゆっくりとした時間を与える
(自発的な行為を待ったり、引き出すように援助する)
  ・疲れたのなら無理をせず、いったん休憩を入れる
  ・邪魔な刺激はできるだけ少なくし、静かな部屋で集中させる
<失認(しつにん)症>
失認症とは、視覚、聴覚、触覚の感覚の機能には問題はないが、それが何であるかがわからないことをいいます。失認は、本人に症状の自覚がなく、また目に見える障害ではないために、周りも認知症などと間違われることが少なくありません。
【主要な症状】
  ・物の形や色、触っているものが何かわからない
  ・人の顔が判別できない
【具体的対応】
  ・無理に治そうとせず、現実にできる動作を生かす
  ・失認があっても、それなりに生活できる環境を整える
  ・他の感覚と関連づけて認識できるよう促す
<失語(しつご)症>
失語症とは、脳出血・脳梗塞または頭部外傷・脳腫瘍・脳炎など大脳言語中枢の損傷によって一旦獲得された言語機能の障害である。具体的には、「聞いて理解すること」、「話すこと」、「書くこと」、「読むこと」4つの能力すべてが病前に比べ多かれ少なかれ低下します。低下の度合や症状も人によって異なります。ショックやストレスなどからことばが出ないのは心理的な障害であり、失語症ではありません。
【主要な症状】
 ★「聞いて理解すること」の障害★
 聴力には問題がなく、ことばを聞いて理解する力が低下します。ただ、軽症例から重症例まで患者さんによって様々です。ものの名前が聞いても分からない、簡単な会話も理解することが難しいです。また、話の内容が複雑になったり、話題が急に変わったりすると理解するのが難しくなります。理解力が悪くても日常会話はその場の状況から判断できる方もいるため、患者さんによっては障害が目立ちにくい場合があります。
 ★「話すこと」の障害★
 意図したことばを上手く話せなくなります。日常生活にさほど不自由のない軽症例から発話がほとんど不可能で意思が他人に伝えられない重症例まで程度は様々です。
【特徴的な症状】
『喚語困難(かんごこんなん)』
 どのようなものか分かっていても、その名前が思い出せない。
『錯語(さくご)』
 ことばを言い間違ってしまう。
①:物の名前を間違って言う。
  ②:音を誤って言う。
『ジャーゴン(ジャルゴン)』
 日本語にないような意味不明なことばを言う。
『保続(ほぞく)』
 同じことばを繰り返して言ってしまう。
『迂回表現(うかいひょうげん)』
 言いたいことばが出ず、言い回しをする。
★「読むこと」の障害★
 音読(声に出して読む)と読解(意味を読み取る)能力は別の力です。音読ができても内容の理解が困難であったり、声に出して読めなくても内容の理解ができる場合があります。読解に関しては、仮名に比べ漢字の方が意味が理解しやすい傾向があります。平仮名だけの絵本よりも新聞の見出しや写真入の雑誌などの方が内容を理解するのに適している方が多いようです。
★「書くこと」の障害★
 書く能力も話すことの障害同様に特徴的な症状が見られます。
【特徴的な症状】
『失書(しつどく)』 意図した文字が書けない。
『錯書(しっしょ)』誤った文字となってしまう。
  ・自分の話したいことを上手く言葉にできなかったり、滑らかに話せない
  ・相手の話が理解できない
  ・文字を読んだり、書いたりすることができない
【失語症者を理解するために知っておきたいこと】
~失語症者の問題点~
・障害が理解されにくい(失語症という障害を知らない人が多い)
・他者とのコミュニケーションが上手く取れなくなる
・自分に自信が持てなくなる
・人との交流の機会が少なくなる
・疎外感や孤独感を抱きやすくなる
・家庭内での役割が変化する
・活動範囲が狭くなる(外出をためらってしまう)
<失語症者とのコミュニケーション方法のポイント>
【基本姿勢】
1.子ども扱いしない!
失語症はことばを操作することの障害であり、礼節ある態度や性格、記憶力や判断力は保たれています。ことば使いには注意し、幼児語などは使ってはいけません。
2.会話は落ち着いた雰囲気で、安心感を与えましょう!
「話を落ち着いて聴いてますよ!」という態度で接すると、持っている能力を引き出すことができます。
3.お互いの表情が分かるような位置や視線で!
会話の相手との適切な距離や視線、表情は人と人との関係を円滑にするためのコミュニケーションの基本です。相手の些細な仕草や表情の変化から思いを推測することが必要です。
【会話の基本】
1.普段よりゆっくり、はっきりと話しましょう!
2.短く、分かりやすいことばで話しましょう!
3.繰り返し言ってみましょう!
4.先回りしないでしばらく待ってみましょう!
5.話題を急に変えないようにしましょう!
※難聴があるわけではないので、大きな声で話す必要はありません。
【話し言葉の工夫】
1.「はい」、「いいえ」で答えられる質問をしましょう!
2.答えを選んでもらいましょう!
「肉と魚はどちらが好きですか?」など、どちらか一方を選んで答える質問方法が好ましいです。

脳出血

高血圧性脳出血は高血圧と動脈硬化が起こる年齢、つまり50歳台から増えてきます。動脈硬化により脳の細い血管に変化が起こりそこから出血するものと考えられています。しかし日本では食生活の改善や降圧剤による高血圧の管理が行く届くようになり、重症の高血圧性脳出血は劇的に減少しました。高血圧性脳出血の起こる場所はほぼ決まっています。
 大脳の中の方にある被殻(ひかく)に出血するものが最も多く全体の60%を占めます。次に多いのが視床(ししょう)出血で15%、小脳出血が10%、脳幹部の橋(きょう)という場所の出血が5-10%です。その他に大脳半球の表面に近い部分に出血する脳葉出血がありますが、これはAVMや脳動脈瘤の破裂、その他の血管奇形を伴うことが多く、また老人のアミロイド血管障害という病気のときもあり、高血圧性とは一概にいえません。出血部位の頻度は統計により違いますが、被殻出血がもっとも多いことには変りなく、最近では高齢者の視床出血が増えているようです。
 脳出血は1日の内で血圧がもっとも高くなる朝10-12時頃に突然発症することが多く、発症から1-6時間ぐらいのうちに出血は止まりますが、30%は重症で、発症から一時間程度で意識障害が進行し、死に至るものもあります。
 脳動静脈奇形(AVM)は一種の血管の奇形です。普通動脈から毛細血管となり、そこで、酸素や栄養を組織に与え変わりに不要な老廃物を血液に取り込んで、静脈となり、心臓へ戻ります。AVMは動脈が異常な血管の塊を通って直接静脈と繋がっています。AVMは普通は無症状ですが、けいれんを起こして分かる例があります。このAVMが出血すると脳内出血やくも膜下出血を起こします。AVMの出血は若い人に多く、20-40歳台で発症しますから、若い人の脳出血とくに脳葉出血はAVMを疑います。
脳出血は一般に頭痛と嘔吐で発症します。その他の症状は出血が起こった部位によって違います。ここでは急性期の症状を書きます。
 被殻出血では出血と反対側の手足が麻痺し、感覚も障害されます。被殻のみの小さな出血では本来麻痺は起こりません。殆どの場合被殻から少し外側にある内包へ出血し、その部分の障害で運動麻痺と感覚障害がでます。出血が大きいと、顔と両目が出血した側(手足の麻痺が左なら右側)へ向いて自分では治せない状態になり、意識障害が進んできます。右利きの人は言葉を理解してしゃべる機能が左の脳にありますから、左の脳出血が起こると、利き手の右手の麻痺だけでなく言語障害(失語)が起こり、言葉がしゃべれなくなることがあります。
 視床出血では運動麻痺も起こりますが、感覚障害が強く出ます。慢性期になって出血と反対側の手や足が非常に痛くなる場合があります。これは視床痛といい、鎮痛薬が効きません。この場合定位脳手術といって特殊な手術を行う場合があります。それ以外に視床出血では左右の目の位置がおかしくなります、寄り目になったり、両目が下に向いて動かなくなったりします。左側の視床出血では言葉もしゃべれなくなることがあります。高齢者に多い病気で、寝たきりの原因となり、痴呆にもなり易い病気です。
 小脳出血は突発する頭痛、嘔吐、めまいが起こり、立ち上がるとふらふらして歩けません。小脳出血のめまいは非常に強いもので、ずっと続きます。最初のうちは意識障害はありませんが徐々に意識障害が起こり、呼吸状態が悪くなってきます。小脳出血の場合は早いうちに手術すると改善しますから、呼吸障害がひどくならないうちに手術することが必要です。
 橋出血では重症例が多く出血の最初から意識障害、呼吸障害、四肢麻痺(両手足が動かなくなる)が起こります。目も固定し、上下にずれたりして見るからに異常です。また瞳孔(黒目の真中)が非常に小さくなります。瞳孔の大きさは脳の病気の時には非常に重要で、意識障害で、瞳孔が5mm以上に開き、光を入れても縮まない場合は危篤状態です。橋出血は以前はすべて重症と考えられていましたが、症状が軽いものでCTやMRIでみると小さな橋出血が見つかる場合が増えてきました。

千鳥公園

軽い工場マニアだから、ひとりでは何度もそこに行っていて、川崎港の海底トンネルも何度も横断した。一度、妻を連れて行ったとき、しかし海底トンネルには入らなかった。不気味なだけでべつに「面白い」ものではないし、トンネルを渡った先に何があるというわけでもないし。
けれど、もう二度と行けない身体になってしまった今にして思えば、あの「退屈」な体験を妻と共有しておきたかったなとも思うのだ。

ストレスと血圧上昇

緊張すると、血圧が上がることはよく知られています。その典型は「白衣高血圧」です。白衣高血圧とは、病院で血圧測定をするとき、医師や看護師の白衣を見ただけで緊張し、それがストレスとなって血圧が上昇する現象です。一般に病院で測定する血圧は、家庭で測定する血圧より高くなりがちです(※1)。
ストレスによる血圧の上昇でもっとも注意したいのは、脳卒中や心筋梗塞などの引き金になることです。その典型は、スポーツ中の発作です。例えばゴルフでは、パットとティーショットのときに発作を起こすケースが目立ちます。緊張し息を詰めることで、血圧が急上昇するからです(※2)。冬の早朝ゴルフでは、寒さによるからだへのストレスも影響しています。このようにストレスは、血圧の上昇と深い関連があります。ところが血圧が高めで、食事などに気をつかっている人でも、ストレスについては無関心ということが少なくありません。重大な発作を起こさないためにも、自分のストレスについて知っておくことが大切です。

こんな時に血圧は急に上がります!

しゃがみ込む時
急にしゃがみ込むと、血圧が上がります。しゃがみ込むことによって、ももの部分とひざから下の部分(大腿部と下腿部)がお互いに圧迫されることで、末梢血管の血管抵抗が上昇すると共に、下肢の筋肉が緊張することによって交感親権も緊張するためノルアドレナリン(血圧を上昇させるホルモン)が分泌されるためです。
排尿・排便時
排尿・排便中は血圧が上がります。また、排尿を我慢し続けると血圧が上がるため、排尿の後、急激に血圧が下がり失神してしまう場合もあるので注意が必要です。その他、急に立ちあがる動作も血圧の上昇の要因になるため、排尿・排泄の後はゆっくり立ち上がるように心掛けてください。
入浴時
入浴はリラックス効果から血圧を下げる作用がありますが、汗をかくため、体の水分が不足し、血液がドロドロ状態になり血管が詰まり易くなることがあります。また動脈硬化で心臓の血管が狭くなっていると、心筋の酸素不足が起こり、狭心症を起こす可能性もあるので注意が必要です
脱衣所と浴室の温度を20~25度にする。(温度差を作らない)
湯加減は38~41度にする。(熱くし過ぎない)
入浴時間は15~20分にする。(長湯をしない)
入浴前にコップ一杯の水分を補給をする。

去年は

年末年始に一時帰宅する/しないでモメて、結局ずっと病院にいたのだった。
それを思えば今年は友人と忘年会もする予定だし、新年は妻と二人で迎えられる見込みなのだから、じゅうぶん「回復」したのである。

さくら学院『宝物』

さくら学院 2013年度の『FRIENDS』

2018年12月 1日 (土)

俺が中高生の頃大人気で、もちろん聴いてはいたけれど、パンク/ニューウェイブの方に傾倒してて、メタルはあんまりって感じだったから大人になってから改めてハマって頻繁にライブにも行くようになったんだ。

早瀬優香子『硝子のレプリカント』

結構苦労してCDを探しだし、購入しました。 

一夜限りの重音部

必須

[名・形動]必ず用いるべきこと。欠かせないこと。また、そのさま。ひっしゅ。「成功のための必須な(の)条件」

焼肉20181201

連城さん、橘さんに焼肉に連れてってもらった。
また写真を撮るのを忘れた。

コメンテータ気取り

なのか、わかりもしねえくせにしたり顔で何にでもいちいちイッチョカミしねえと気が済まない暇人がいるもんだな。

さっちゃん

別段理由もなく唐突に今、子供の頃に覚えたこの歌が、頭の中で流れはじめた。

所詮は他人事

の気楽さでされる無責任なアドバイス(=不要な干渉)がほんと鬱陶しい。

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