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2018年11月 7日 (水)

消極的自由と積極的自由

消極的自由は他者 の権力に従わない状態、他者の強制的干渉が不在の状態を意味する。例えば信教の自由では政府が国民個人の宗教活動に干渉しないと規定(国家からの自由)するように、消極的自由は他者の干渉が物理的に無い範囲を規定する。
一方、積極的自由は、自己実現や「能力」(capability)によって規定される概念であり、自己の意志を実現しうること、能力のあることが自由である。自己の行為や生が自己の意志や決定に基づいているかどうか、自己自身 を律しうる自立した状態にあるかどうかという観点から見た自由である。そのように基づいていることが自由、そのような肯定的な状態にあることが自由なのである。
また、貧富の格差の存在する社会において、それを解消し、社会権(国家による自由)を実現するために、政府が富者から高額の税金を徴収し、貧者に分配することや、一般に社会的弱者に分類された人々に対し、教育や就職などでより多くの機会を与える[1]ことにより社会的な格差を解消しようとする行為(アファーマティブ・アクション)も、自己実現が困難な疎外された立場にある者の自己実現を容易にするという点で積極的自由の実現と考えられている。
また両者の区別は、自由という語の解釈の違いと平行するものでもある。自由を他者に従わないことと見れば消極的自由の側面が現れ、自己自身に従うことと見れば積極的自由の側面が現れることとなる。消極的自由は「~からの自由(liberty from)」、積極的自由は「~への自由(liberty to)」とも呼ばれる。
より一般的には、消極的自由と積極的自由の相違は社会的な、とりわけ物質的条件によって、いかなる権利の上での禁止もないのに、自己の望むことをなしえないとき、または当人が無知などから無自覚に権利の行使を放棄しているときにこの状態を自由とみなすかどうかというような想定において議論となる。この点での相違は、「結果の平等」と「機会の平等」とパラレルに語られることが多いが、少なくとも概念的には、このふたつの相違は全く同一と言うわけではない。
バーリンは消極的自由と積極的自由の区別が西欧政治思想の伝統に深く根付いたものであると指摘している。消極的自由は主にホッブス、ロック、アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミルらイギリスの政治哲学者、積極的自由は主にルソー、ヘーゲル、マルクスらヨーロッパ大陸の哲学者に提唱されてきた。

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