もしも知への執拗さというものが、もっぱら知識の獲得のみを保証すべきだとするならば、そして知る人間の迷いを、ある種のやり方で、しかも可能な限り容認するはずのものであってはならないとするならば、そうした執拗さにはどれほどの価値があろうか?-快楽の活用-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) 2018年11月12日
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