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2018年10月17日 (水)

信条倫理と責任倫理

ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは『職業としての政治』において、人として行うべきことがどのような基準で選択されるのかを、信条(心情)倫理と責任倫理という二つの対立する基準から論じている。信条倫理とは自らの信条を貫くことを第一とする考え方である。一方、責任倫理とは自らの行為の結果こそ第一とする考え方である。信条倫理においては、価値とはその信条の純粋さにあり、行為の結果の責任は純粋な行為者本人にではなく、不純な他人に見出される。一方、責任倫理においては、価値とはその結果いかんにしかなく、自らの行為の結果が予見できた以上、その責任を他人に転嫁できないと考える。平和主義に引き寄せて考えるならば、信条倫理は純粋に一貫して平和を訴え続けることこそを目的とし、責任倫理は結果としての平和を確保することこそを目的とする。
この二つの倫理を考慮すれば、限定的にせよ何らかの平和を目的とする人々にとっては、自らの責任ある立場というものにおいて、心情倫理に導かれつつも、責任倫理に基づく行動の選択が必要とされることは広く認められるであろう。もちろん、戦争を容認するのが責任倫理的な行為であり、戦争に反対するのが信条倫理的な行為であるわけではない。信条倫理に基づいて戦争を起こしたり容認したりすることも、責任倫理に基づいて戦争に反対することもありうるからである。

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