「どうする? まっすぐ帰る? それともどっかで飯でも食ってく?」などと友達と話しながら新宿の街を歩き回っている。
かつてはあたりまえにあったことだが、今は決してあり得ない。単に歩けないということだけじゃなく、決定を保留したまま行動を継続し、「偶然」に期待するっていう選択肢がない。
今日で9月も終わり。来月には俺の「一周忌」である。最近は夢の中でも車椅子であることが多く、健康だった頃の「日常」の感覚がどんどん失われつつある。かつての自分にとってリアリティを感じたことが今の自分には感じられない。明らかにリアリティの質が変わったのである。
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