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2018年8月24日 (金)

経験が一般的,客観的であるのに対し,体験は個別 (特殊) 的,主観的であるとされる。ドイツ語の Erlebnisという言葉の歴史は比較的新しく,19世紀なかばに伝記の分野などに使用されたが,この言葉が哲学的に深められたのは W.ディルタイにおいてである。彼によれば,体験は体験-表現-了解という彼の生の哲学の図式の一項として歴史性,社会性とのつながりが強調され,なかでも芸術はこの図式連関を端的に表わすものとされた。 E.フッサールでは最初,解釈学的現象学の立場から体験は志向的体験として記述されたが,次に構成的現象学の立場から体験は先験的体験の流れとして現象学的時間の流れとの関係において考察された。
生物体、とくに人間が感覚や内省を通じて得るもの、およびその獲得の過程をいう。体験とほぼ同義だが、体験よりも間接的、公共的、理知的な含みをもつ。より正確な定義はきわめて多様だが、経験の成立の説明(因果発生的定義)は、今日では心理学や大脳生理学その他の諸科学の立場からくだされる。
 しかし、経験は認識や知識の一要因であるから、哲学的にも古来、認識論の根本概念であった。とりわけ近世以降、観察や実験を重視する科学の方法や理論が発展し、認識論が哲学の中心課題となるにつれて、「経験」は活発な議論の的となり、また「経験論」の有力な傾向が生まれた。経験をめぐる認識論の根本問題は、一方では経験が多少とも主観的、相対的であるのに、他方では、経験を一部に含む学問理論などの知識が客観的、必然的、公共的であるという事実をいかに説明するかにあり、次のような諸説に分かれる。
(1)近代理性論や一般に観念論の立場は、知識の確実性の根拠を理性や先験的基準に求めて、経験を知識における消極的契機と考える。
(2)逆に経験論は、経験を全認識の源泉と考えるが、その結果、知識の確実性を疑う懐疑主義、相対主義に陥る危険がある。
(3)カントは認識の起源および所与(しょよ)として経験を不可欠と考えながらも、知識の必然性の根拠を主観の先天的形成に求めて、両者の不可分な結合である現象界を学的理論の領域と考え、理性論、経験論の総合を試みた。
(4)現代実証主義の「感覚与件(よけん)」やプラグマティストのW・ジェームズの「純粋経験」などから明らかなように、現代経験論は、一方で個人的、個別的な所与である経験を理論的極限と考える。そして他方では、学的理論もそこから抽出、構成される記号体系として、経験を超えるものではなく、その必然性も先験的根拠にではなく、経験理解のための仮説、規則、要請などとしての拘束力に求められるべきだと考える。[杖下隆英]
[参照項目] | 経験論

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