無知のヴェール
とはロールズが『正義論』の中でいった概であるが、この〈自分と他人の間の相対的な有利/不利についての情報を遮断する〉仮想の装置について改めて考えたい心境なのである。
ロールズはこう考えた。
「無知のヴェール」がかかった状態で、各人が「正義」について考察するならば、「私」の利益の視点を離れた誰もが納得できる公正さに基づいて「正義」の合意が得られるハズ。我々には自己中心的なリスク回避の傾向があるから、自分が全体の中でどのあたりに位置しているかわからない状態では「最悪」を避けようとする。結果、それが「弱者」への共感と一致するハズ。
ゲームの理論の「囚人のジレンマ」にも通じる心性を活用しようというわけだ。そうして「弱者への共感」を「寄り添う」系のヒトゴトから当事者性=ワガコトに回収する。
しかし前述の通り「無知のヴェール」は“仮想の装置”であって、現実には、そんなものはどこにもありはしない。
これがこの思想の限界だ、と私は思う。
それでも、エゴイスティックな人間のリスク回避傾向を利用する戦略を取ることで、マルクス主義的左派やラディカルな新左翼に見られる“共感”の押しつけを回避しようとしている点は重要であると思う。
ロールズはこう考えた。
「無知のヴェール」がかかった状態で、各人が「正義」について考察するならば、「私」の利益の視点を離れた誰もが納得できる公正さに基づいて「正義」の合意が得られるハズ。我々には自己中心的なリスク回避の傾向があるから、自分が全体の中でどのあたりに位置しているかわからない状態では「最悪」を避けようとする。結果、それが「弱者」への共感と一致するハズ。
ゲームの理論の「囚人のジレンマ」にも通じる心性を活用しようというわけだ。そうして「弱者への共感」を「寄り添う」系のヒトゴトから当事者性=ワガコトに回収する。
しかし前述の通り「無知のヴェール」は“仮想の装置”であって、現実には、そんなものはどこにもありはしない。
これがこの思想の限界だ、と私は思う。
それでも、エゴイスティックな人間のリスク回避傾向を利用する戦略を取ることで、マルクス主義的左派やラディカルな新左翼に見られる“共感”の押しつけを回避しようとしている点は重要であると思う。
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