恩着せがましさ
一見不合理で、一般にはなかなか理解しにくい小劇場的慣習ってもんがある。それに対して「必要」だとか「べき」とか、エラソーにごちゃごちゃ「忠告」したがる部外者がいるが、その「べき」や「必要」がそもそも主観的な閉じた尺度であると知れ。おまえのその価値観には外部があってことだ。そんなことすら想像なんかもできないか。あたまわりーな。
少年時代、夏祭りのライブで音合わせをしていたら、「ギターの音が割れている」とテキ屋のおっさんが「忠告」してきたのを思い出す。いいや、これはディストーションというエフェクターで歪ませているんであって割れてるわけじゃないのだといってもきかない。ヘヴィメタルなんかでよくあるでしょ。「ヘビメタなんかきかない」だったら黙ってろよ。ところがせっかく教えてやったのに、という恩着せがましさだ。そんな単に定石を知らぬ者のガラクタ情報に付き合うだけこっちは時間の無駄で機会損失なのだ。
ただけだ。
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