会話劇
①「ユニクロで、千円ちょっとの安値でジーパンが売られていたので手に取ったが、ペラペラだったので買うのをやめた。」
フツーに書くとこんな感じ。
誤読されないようにと思えば、こんなふうに書くこともできる。
②「ユニクロで、千円ちょっとの安値でジーパンが売られていたので私はそれを手に取ったが、ペラペラだったため、買うのをやめた。」
せいぜいここまでではないか。
ガキの作文バージョン。
③「ユニクロで、千円ちょっとの安値でジーパンが売っていたので、買おうと思い、手に取ったが、ペラペラだったので買うのをやめた。」
もはやシュールリアリスム。
④「私はユニクロで千円ちょっとの安値でジーパンが売っていたが、手に取ったがペラペラだったので買おうと思ったが買うのをやめた。」
で、①②の文は「買おうと思った」という主体の心理が省筆されているわけです。「買うのをやめた」でじゅうぶんという判断。③は説明過剰なんです。④は論外として、③に比べて①②は実はテクニカルなの。
現代口語による会話劇というのは、単に日常会話を書き写しているんじゃない。書き手が意識する/しないにかかわらず、こういう思考を経て「フツー」を割り出し、①を選択しているの。それを「技術」というの。
さらに、話者の設定が仮に中学生だったとしたら、そのステレオタイプを踏まえて「ユニクロで、ジーパンが、千円ちょっとの安い値段で売っていたから手に取ったんだけど、ペラペラだったんで買うのをよした。」くらいに崩してやる。
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