新橋の居酒屋
忘れっぽいのに執念深く、就活(?)時に感じた違和を覚えている。
バブルの終わり。空前の売り手市場。当時の学生に人気だったのはマスコミと広告代理店で、「識者」によってこういうことが真顔で言われた。
「科学技術はもう飽和状態。電機メーカーは横並びで、これからはイメージ戦略で差別化するしかない」
んなわけあるか、と私は思っていた。
技術の進歩はオートマチックに維持されるという「神話」。土地の値段は下がらないというのと一緒だ。
これって今、民進党なんかがいう「成長」を否定するような政策とも通底していると私は思う。つまり、現状程度の経済は、ほっといても維持されるという前提。
優雅に泳いでいるように見える水鳥が水面下で足をバタバタさせていることなど想像もしないのだ。
政治って「正解」が演繹的に求められるもんじゃない。だから「結果責任」といわれるわけだ。
じゃあ「結果」って何か?
国民にとって以前よりも良くなったか、悪くなったか。つまり過去との比較における差異である。
しかし世の中には私以上に忘れっぽい人が多くいるらしく、差異を求めることができない。
デフレに逆戻りというのはじゅうぶんあり得る。フェイクニュースを流す多くのメディアが望むように安倍政権が倒れれば、それはあっというまに実現するだろう。
そうすればまた就職氷河期がやってくる。雇用は悪化し、自殺者も増える。
そのときはまた「政治が悪い」と誰かを悪者にして済ませるか。
日本全国新橋の居酒屋である。
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