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2017年6月 7日 (水)

表象

 
表象の臨界、名づけ得ぬもの。
わかるけど、たとえばそれを「筆舌に尽くしがたい」と言ってしまうようなパターンの罠がある気がするんですよね。前衛演劇を観たときに「ああ、いかにも前衛だなあ」と感じるような。それは単に受容側の問題でなく、そういう「期待の地平」に沿った形で、つまり期待の地平を期待して作り手がものをつくってしまうような。「名づけ得ぬ」をエクスキューズにするような。
「表象の臨界」といったときに少なくとも私がパッとイメージしてしまう「表象の臨界」ぽさ。たとえばアルトー的な。若い人がそういうのを問題にするのはわかるけど、自分はもういいやって気持ちがある。「老後」なのかもしれない。
それより日常の中で自分にとってもっとリアルな「表象の臨界」に興味がある。
たとえば私はオリンピックにまるで興味がない。昔からクラス対抗リレーのたぐいにまったくノレないタチだし、そもそもスポーツを観る習慣もないし。
こういうのを「無頼」っていうのかわかりませんが、仮にそう名づけると、その「無頼」という表象の臨界点で、なんか知らんが「ガンバレ日本」な気持ちになっていることがある。
このナショナリズムの正体は何か? いったい自分は何と「連帯」しちゃってるのか。

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