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2017年6月18日 (日)

民進・山尾志桜里氏、女系天皇容認「男系男子、論理必然ではない」 自民・下村博文氏は「歴史への冒涜だ」 テレビ番組収録で

私の立場を明らかにしておけば、男系女子OK、女系NG。
   
『歴史的にそうしてきたことと、これからもそうすべきだという価値判断は、まったく論理必然ではない』のかもしれないが、天皇が天皇である根拠が「血統」だとすれば、「男系」にこだわるのはむしろ論理的なのではないか。
 
私はしかし、山尾さんと違って「伝統」そのものを軽視しない。
むろん若い頃には疎ましくも感じたものだけど、それは「伝統」の持つ「重み」を裏側から認めていた証左だ。
しかしどうして私(たち)の中で「伝統」は正当化されるのか?
 
私はひとまずバークの思想を思い出す。

『各個人が自分の理性と経験のみに基づいて判断すると間違うことが多い。一人の人間の理性と経験には限界がある。それに対して、先人の経験に基づいて形成された「偏見」に従って行動すれば、自分の頭ではっきり把握できていない問題を行動面で解決することもできる。「偏見」を通して私たちは、言ってみれば、同じ伝統に属する他者たちと、共同で理性を働かせることができる。「偏見」を繰り返し利用することで、各人は次第に自らの理性を鍛え、適切に判断できるようになる。「偏見」は、社会の中で正しくふるまえるように人々を導くわけである。
フランスの啓蒙主義者たちは、古くからの慣習に代えて、新しい統治の原則や自由の観念を”発見”したがり、革命の指導者たちは、それらに基づく新しい共和国の建設を計画したがっているが、バークに言わせれば、道徳の世界(morality)における新しい発見などほとんどない。』(仲正昌樹「精神論ぬきの保守主義」)

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