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2017年5月23日 (火)

死ぬのはいつも他人ばかり?

核兵器で死のうが、バナナの皮ですっころんで頭を打って死のうが、「死」には変わりない。
そう思う一方で、いや、やはり違う、と主張することも可能なんです。
つまり「死」というのは単に物理的な消滅でなく、死に方=死に至る「物語」のことなんだ、と。
そう解釈するなら、たしかに両者は等価じゃない。文学的に。
翻って、等価じゃないのはあくまで文学的次元の話なんだ、という自覚があれば、ときにそいつを括弧に入れて、核兵器とバナナの皮のリスクを定量的に比較し、「死」そのものを遠ざけるのに役立てることもできる。
それが「政治」というもんだろう。

ところで「死ぬのはいつも他人ばかり」とマルセル・デュシャンはいったけど、果たしてそうか? 死の当事者である「私」もまた「私の死」の傍観者という側面があるように思う。

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