中腰
「違和感」を抱えて「立つ」でもなく「座る」でもない「中腰」の状態で、ああでもない、こうでもないと思考を重ねるのは、ときに優柔不断の誹りも免れない。
けれど、それをやめたらモノカキじゃないと思っている。自己相対化の放棄に他ならないからだ。
自己相対化とは、いわば「私」を「みんな」の中に置いて差異を確認すること。それを怠れば、たちまち「みんな」の情緒に飲み込まれて「私」なんて消えてなくなる。そうして手垢まみれの図式に沿った通俗的言説を「自分の言葉」として吐くことになる。
自己相対化とは、いわば「私」を「みんな」の中に置いて差異を確認すること。それを怠れば、たちまち「みんな」の情緒に飲み込まれて「私」なんて消えてなくなる。そうして手垢まみれの図式に沿った通俗的言説を「自分の言葉」として吐くことになる。
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