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2017年5月24日 (水)

主観主義

ハンセン病が差別されている時代、自分の家の墓に納骨されないことが普通であった。小舟での上陸時、わざわざ別の船着き場を使用していたことが記録されている。宮古島の離島、池間島のある浜は、昭和30年代に南静園に隔離されている島出身の患者の接岸地であった。マズムヌヒダガマ(悪霊浜)と言いウトルス(脅威)の地であった。周りは青々としてアダン、アザミ、ハマヒルガオが生い茂り言い知れない匂いも強烈であった。海での事故死の時も使われたこの船着き場が現在も残る。(Wikipedia)

巷に溢れる“良心的”な言説は、「子供の未来が心配」であるとか、その手の“思いやり”で彩られている。自分を「悪意」と無縁の者であると証明しようとでもしているようだ。
だが、「差別」は「悪意」がもたらすものではない。ハンセン病患者の悲劇は、無知な「善意」が生んだのである。一面的な「優しさ」だとか「思いやり」だとか、そうした“情緒”を絶対視し、行動の原理とする主観主義こそが「差別」をもたらすのだ。

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