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2017年5月24日 (水)

佐伯啓思『自由とは何か』

普通、われわれは「自由な個人」から出発する。「自由な個人」から出発すれば、国家はそれに対する制約としてしか理解されないだろう。こうして、「権力を行使する国家」に対する「自由な個人」という図式が出てくる。確かにこの図式が妥当する局面もしばしば存在する。しかしより根底にあるものは、「自由な個人」を支える「権力を持った国家」なのである。この後者をとりわけ注意しておきたいのは、「権力」VS.「自由」や、「国家」VS.「個人」という図式はあまりにわかりやすいのに対して、「権力」や「国家」が「自由」や「個人」を支えているという側面はなかなか見えにくいからだ。

こんなことを思い出す。
新宿の劇場で反戦運動家による芝居。その開場を待つ客の列で、初老の男が若者に話しかけていた。
警察は不要である。なぜなら警察が出動することにより、凶悪事件は一向になくならないのだから。
「キミ、そうは思わないかね?」
全共闘世代と思われるその男は、まるで〈運動〉していた若かりし頃の自分自身に語りかける口調だ。
それを目にして私は心底うんざりした。とうの昔に葬られたものと思っていたこの手の議論が、21世紀の今日において、相も変わらずされている。
 
著者は、本書の終盤でこう述べる。
現代の「自由」が「自由」を蝕んでいるといってもよいし、「自由」の領域をいささか矮小化してしまっている、といってもよい。ここに現代の「自由のパラドックス」がある。

そして、このパラドックスの生じる理由は、〈「自由」という観念に実際上、意味を与えている条件、それを支えている条件に目を向けていないからである〉と。

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