加藤典洋『テクストから遠く離れて』
①作者還元論/②テクスト論/③脱テクスト論。
著者はこのように大別する。
で、①と②の間には「読み」のコペルニクス的転回があって、私は学生時代、こいつに直撃された。
1980年代後半の話。ロラン・バルトとか、いわゆるポストモダンてやつ。
しかしわりとすぐ限界に突き当たる。
テクスト論者の提示する奇抜な「読み」にも、「で?」って感じがした。それ、なんか意味あんの? と。
とはいえ、やはりテクスト論自体には大きな意味があったのだ、と私は思う。
①作者還元論的な「読み/書き」=私小説的風土は、あまりに強固で、一度こいつをぶっ壊してやらねば。そのためには「劇薬」が必要で、しかし、それは万能薬ではなかったという話だ。
そんなわけで、②テクスト論を全否定するんでなしに、①と②をアウフヘーベンする形で、というか、教条化したテクスト論のいわば「揺り戻し」として、③を著者は唱えている。
というふうに私は理解した。
「作者の像」という概念がキーワードか。
「像」というのは「役」と置き換えてもいいかもしれない。作者が「作者役」を演じるのだ。作者が演じる以上、作者役は作者に似ているが、決して作者そのものではない。
そしてそういう「読み」を、実はすでに私たちは無意識のうちに、している。
「コンテクストもテクストの一部」という言い方も、まあ、大意としては同じようなことなんだと思うけれども、しかしそうやってテクスト論の正当化に固執するんでなしに、そろそろ「河岸を変え」て、もう少し厳密にフォーマット化しましょう、と。じゃないと、己の思考の枠組みをちゃんと自覚できないから。
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