ケインズ/ハイエク
たとえば今、保護主義が問題になっている。
これによって社会的総余剰が減るのは経済学的な「事実」だろう。
だから、長期的にはハイエクがあっている。政府は市場に口出しせずに、ほっときゃいい。市場原理によっていずれ最適化される。
けれど、ケインズのいうように「長期的には我々は皆死んでいる」。生産者余剰の減少分を消費者余剰の増加分で補うとしても、そのタイムラグが問題なんじゃないか。
たとえば私が事故に遭って入院する。頭から血を流して瀕死の状態。でも大丈夫、と院長先生がいう。病院にはたんまり血液があるから。
では、いつ輸血する? 死んだ後に輸血されても、私にとっては意味がない。院長先生にとっては、患者のうちの一人が死んだに過ぎないけれども、私にとってはそれが「世界の終わり」なのだ。
そんな「私」や、自分もいつそうなるかもしれないと思うべつの「私」=「私たち」が主権者なのだ。だから少なくとも民主主義国家の為政者は「私たち」を無視できない。そういう政治経済の力学に拘束されているのだと思う。
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