悪ふざけ
怒りの表明の仕方を工夫すれば、単なる好悪を善悪に変換できると思っている人がいる。それに基づく己の暴力を正当化できると踏んでいるジャーナリストや学者がいる。
こういう理不尽な「悪ふざけ」は、本来なら私みたいな河原乞食が嬉々としてやるべきことなんじゃないか。河原乞食の「悪ふざけ」に社会的有用性があるとすれば、「常識」に一瞬、水を差すことだ。膝カックンを食らわせることで、二本脚で立つという無意識かつ「自明」の行為を相対化し、常に重力に抗っているのだということを意識の表層にのぼらせる。結果として。
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