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2017年5月23日 (火)

長期的には我々は皆死んでしまっている

ケインズの「長期的には我々は皆死んでしまっている」ってどいうい意味なんすかね。ググるといろいろ勝手な解釈されている。なので自分もそれに加わってみる。
ホッブスのいう「万人の万人に対する闘争」だって「長期的」には「秩序」に与するわけだ。闘争による淘汰を経て、つまり神の手によって、あるべき「調和」が実現する。
経済だってそうだ。ほっときゃ何らかの秩序に収斂する。神の目にはそう見える。
でも、神は死んだ。我々が殺してしまったの。
だから人工物としての調和、擬制としての秩序を自ら作り出す必要がある。
たとえばブレグジット。
英国のEU離脱=保護主義への傾斜というふうにいわれるけれども、考え方によっては、必ずしもそうとは言えないんじゃないか。むしろそもそもEUこそが保護主義ともいえる。なぜならEU/EU以外という壁を作っているのだから。
じゃあグローバリズムって何か。本当の自由な取引って? 

この文脈上にある「本当の自由」って、おのおの好きにしろっていう放任状態いわば「万人の番人に対する闘争」みたいなカオスでしょ?
「神」というのはそういうカオスのメタレベルにいるんだと思うわけです。というか、そういうメタレベルの存在を想定して神と呼んでいるんだと思うわけです。

ほっとけば、長期的にはおのずと秩序が形成される。なるようになる。
しかしそこには近代化した人間はいない。つまり個がない。
個がないっていうとき私は、泉鏡花『夜叉ヶ池』の生贄や、柳田國男『一つ目小僧その他』の異形の者を思うんです。たぶん彼らには我々の思う「内面」はない。
そういう世界の秩序というのはあくまで神にとってのもの。
けれど人間が近代化すると、そういうわけにいかない。個が神の秩序づくりに奉仕して黙って死んでいくわけにはいかない。
だから我々は神を殺して、互いの個による取り決めによって「統制された自由」とでもいうような矛盾した状態をとりあえず作りあげたんだ、と私は思うんです。近代つうもんをそういうふう解釈してるわけです。

だから擬制なんですよ。フィクションなんです。「自由」というのも常にカッコつきのものでしかない。なのに、というかだからこそ、我々はカッコの存在を忘れてしまいがちなんです。

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