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2017年5月23日 (火)

普遍的な「善」?

こんな「つぶやき」を見た。
〈「トランプの勝利は反ポリコレの勝利だ」って反リベラルの人たちが盛り上がってるんだけど、そこから引き出せる結論は「だからポリコレはいらない」じゃなくて、「そうだね、多数決の制度のもとでは負けるに決まってるマイノリティを守るために、多数決に依らないポリコレがやっぱり必要だよね」では。〉

多数決に依らない「ポリティカルコレクトネス」って何なんです?
その「コレクトネス」って誰がどうやって決めるんですか? 
プラトンのイデアのように形而上の世界に確固としてある? 
しかし私たちはニーチェ以降を生きている。  

安保関連法成立時、多数決では多数派が勝つに決まっているから野党の「抵抗」は評価できる、アベの悪事の前には仕方がない、みたいなことをぬかしていた人らを思い出します。
なんでこの手の人らは簡単に普遍的な「善」を設定し、自分をそっちの側に置くことができるんでしょうね。
「善」を相対化するという発想がない。だからすぐに独善に転落するんです。  

私も多数決の結果が常に「正しい」だなんてちっとも思いませんよ。 そもそも「多数決」じたいが「正しい」やり方である保証なんかない。単にそういう制度、手続きでやるって決めただけのことなんだから。
しかしそれが民主主義ってもんでしょう?   
民主制を採用する以上、個々の利己的な主体が互いに認めた決定のプロセスにしか、社会的な「正しさ」なんかない。 普遍的な善を設定するから普遍的な悪が必要になるんですよ。

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