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2017年5月23日 (火)

気づけば自分が一匹の猫になっていた

DVDを返却に行きましたら、ビデオ屋の入ったビルから突然、男が飛び出して、後ろを振り返りながら何か意味不明なことを叫び、走り去ったんです。べつに誰に追われているわけでもないのに。
心臓が縮み上がりましたよ。「刺される!」って思いました。
「刺される!」っていうのは、赤ん坊はきっと思わない。なぜならそれは「記憶」に基づく「物語」のはずだからです。

先に上演した芝居で、主人公が「耶蘇でも三途の川を渡るのか?」と問うシーンがありました。
どうなんでしょうね。問われた相手が返した台詞がこれまたまったく意味不明で、「答え」がわからないんですけど、しかし「三途の川」が日本人の間でほとんど無意識に共有されてる「物語」だというのは確かです。
だから、劇作家として気障な言い方をすれば、「日本」というのは三途の川の岸辺のことだ、と定義したい気分なんですね、私は。
 
けど、「刺される!」というゆうべの私の反応って、ほとんど脊髄反射に近いもんだと思うんですよ。専門的にはどうなんだかわかりませんけども。
たとえば人の姿を目にして逃げる猫に近い気がする。猫は「記憶」によって「死」という「物語」を構成し、それ恐れて逃げるわけじゃないですからね。
キチガイの去った後、気づけば自分が一匹の猫になっていた。
 
で、何が言いたいかというと、「記憶」って必ずしも「物語」に資するもんではないんだなあ、と。そんなことを思ったわけです。

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