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2017年5月25日 (木)

カミュ『異邦人』

「きょう、ママンが死んだ」の書き出しが超有名。
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画を見て笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、不条理の認識を極度に追求したカミュの代表作
と、古本屋で購入した新潮文庫(窪田啓作訳)のカバーに書かれてあるのだけど、あらすじは、まあそうだとしても、主人公のムルソーは「通常の論理的な一貫性が失われている男」として描かれているわけではないと思うし、この紹介文から想像する内容と、実際の内容とでは、印象にずいぶん隔たりがある。
それで以前は、なんだか期待を裏切られたようで、途中で読むのをやめてしまったのだけれど、改めて読了してみれば、これがたいへん面白い。
「卒業式で泣かないと、冷たい人と言われそう」
斉藤由貴はそう歌ったが、ムルソーは、そんなことには頓着しない。ただし「卒業式」ではなくて、ママンの「葬式」なのだが。
しかし「泣かない」ことが、人格にとって、決定的な何ごとかであろうか?
「冷たい人」と言う人々(検察、裁判官、陪審員ら)によって、彼は「異邦人」として葬られる。カバーの紹介文は、そんな「人々」の通俗的視点から書かれたものであると解釈すれば、つまりムルソーにとって彼らの存在こそが不条理であるというなら、まあ一応の納得がいく。

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