浅田彰『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』
「世代論」なんてのはたいてい、自分の過去の(積極的な)忘却に支えられている。
たとえば選挙に行かない若者に私は物申す資格がない。自分だって学生時代、行かなかったんじゃないかと思う。そうしてその怠慢を指摘されれば、どこかで聞きかじったもっともらしいフレーズで自己弁護を図ったものだ。
たとえば選挙に行かない若者に私は物申す資格がない。自分だって学生時代、行かなかったんじゃないかと思う。そうしてその怠慢を指摘されれば、どこかで聞きかじったもっともらしいフレーズで自己弁護を図ったものだ。
「無関心」といえば、確かにそう。けれどそれは意図的で方法的な無関心であったような気もする。「政治」みたいなマジなものは冷笑し、「軽さ」と「速さ」で“逃げ切って”みせる。それをわりとマジでやろうとしていたんじゃないか。
浅田彰の『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』を当時、私は読んではいなかったけれど、そういうスキゾキッズ的なるものをヨシとする風潮は確かにあって、私も影響されていたはずだ。
「相対化」がひとつのキーワードになっていた。だから簡単に自明の「正義」を掲げることに躊躇する傾向があったように思う。もっともそれで、マジメな言説を茶化すばかりのシニシズムに至ったのもまた事実なのだけれど、ともあれ、そうした時代の記憶が、我々世代には内面化されている。と、思う。
最近ではポモなんて呼ばれ、80年代の遺物扱いされてるけれど、浅田が『逃走論』でいった「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」という態度は、今でも、というか今みたいな時代にこそ有効なんではないか。
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