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2017年5月24日 (水)

宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』

〈ピテカン〉的なものと〈おたく〉的なもの。前者が80年代の文化的ヒエラルキーの上位に、後者が下位にあった、と著者はいう。
そして当時、虐げられていた〈おたく〉たちが、後に「ヒルズ族」なんかになり、80年代を振り返ったとき、あの時代は「スカ」だった、と切り捨てる。
 
大塚英志『「おたく」の精神史』を反語的に参照しつつ、概ねそんな見取り図で「80年代」を再評価しようという試み。
「おたくの保守性」に対する〈批評性〉」というチャプターで、『おたくが閉塞しちゃった先にあるナショナリズムというのは、具体的にどういうものなのかというのを聞きたいんですけど』という学生の質問に対する回答の中で、著者は次のようにいう。
たとえば、小林よしのりのような人が出てきて、ちょっと肩を押されると、すっと右の方へ行く。すると彼らは簡単に、ものごとを単純化する。小林よしのりが語ったような言葉を使うわけです。
だが、「簡単に、ものごとを単純化」するのは、べつに「保守」に固有のものではないだろう。上記引用文の「小林よしのり」を、左翼文化人に置き換えてみればいい。右と左が異なるだけで、これもまた「内閉する連帯」に他ならぬのではないか。

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