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2016年9月22日 (木)

冥途

『冥途』の稽古も佳境。
作品もだんだん煮詰まってきて、するとこの時期、良くも悪くも「雑」になる。「雑」にも良い雑/悪い雑がある。
どういうことか?
私はいつもハスミのいう「フィクション的な許容度」ということを思う。
 

〈フローベールはそうした細部の大半を無視した。親しい友人が「きみ、これは一八四九年のできごとだろ。そうだとすると、ここにはあの建物は見えていなかったんだから、この挿話は削りたまえ」といってもフローベールはどうもそれに耳を傾けた気配がない。ですから『感情教育』は歴史的におかしいところがたくさんある。まだ存在するはずもない路線を列車が堂々と走っていたりする。しかし、今日のフランス人でさえ、それを顔をしかめたりもせずに読んでいます。〉(早稲田文学『「結婚詐欺」からケイリー・グラントへ 現代日本の小説を読む』)
 
細部を「現実」に依存しすぎた結果、虚構の伸びやかさが失われる。そういうことがしばしばある。雑な丁寧さ、とでもいうか。いわゆる「説明過剰」もこの部類。
そうではなしに、びびらず大胆に嘘をつけって話だ。丁寧な雑さ。
もっとも両者の見極めが難しい。どこまでが「許容」されるのか。何か法則があるわけではないから、もうセンスとしかいいようがないのだけど。

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