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2016年9月26日 (月)

引力

〈役〉というものは演者の主観の外化などでは決してなく、常に観客との間主観性に立脚してようやく成り立つ存在だ。
 
たとえばそこに椅子がある。
とりたてて特別な設定が示されてない条件下、演者が椅子の傍らに立ったとき、彼/彼女が次にとるべき行動は?
当然、「座る」だ。
なぜか?
「椅子」は「座る」ものであるというコードを〈我々〉が共有しているためだ。
あたかも登場人物と椅子との間に「引力」が働くように、演者の行動は「物」の制約を受ける。舞台上にはそういう力が働いている。
 
むろん、「引力」に逆らってあえて「座らない」という選択はあり得る。その場合、それなりに納得できる理由・動機がいる。
誰が「納得」するのか? 演者か、作家か、演出家か?
否、〈観客〉である。

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