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2016年8月28日 (日)

失望

 
端的にいって焼きが回ったんですね。いつのまにか明治学院大教授だし。島田雅彦は法政でしたっけ? 大学教授になってアガリってパターン、小説家にやたら多いなあ。
 
『彼らがやった重要なことは、いつの間にか「特別」になっていたデモを、再び「当たり前」にしたことだと思います。民主主義や人権を抑圧し、非常に重苦しい社会へと変わっていく流れを、ちょっと押し返しました。』
『反対していた法案が通ったから「負け」と批判するのは、実は現実を無視したロマンチックな考えではないでしょうか。』
 
「民主主義や人権を抑圧し、非常に重苦しい社会へと変わっていく流れ」ってどこにあったんですかね?「抑圧」だとか「重苦しい社会」だとか、そういう自己都合に基づく現実の歪曲こそがロマンチックな被害妄想ではないか。
 
私が大学生の頃って、たしかにデモって「特別」でした。といっても80年代末の北大だと「泊原発」がありましたけどね。デモの参加者が民青つまり共産党クサイのは今も昔も変わらない。シールズと一緒です。
そういうのがダサイって「空気」もたしかにありました。その「空気」の成分は、まさに高橋源一郎らが牽引したポストモダン的な雰囲気ですよ。
価値は相対的なものに過ぎず「正しさ」なんて容易に決定することができない、そういう風潮が若者に善悪の二項対立でものごとを声高に主張するのを躊躇わせたんです。
 
ポストモダンも今じゃ「ポモ」なんて略され、揶揄されますけども、私はあれが必ずしも無意味だったとは思ってません。むしろシールズみたいな独善的思考態度より遙かにマシだったと思ってます。
「私」は常に括弧に入れられていたから、自信を持って何かを決定することはできないけれど、ベタで短絡的な「正義」に簡単に絡め取られるのは避けられた。
 
ところがそのポストモダンの牽引者が、己の青春の燃えカスを今の若者に勝手に託し、ノスタルジックにシールズ擁護なんかする。
筑紫哲也がサブカルにすり寄った『若者たちの神々』を思い出します。あれも気持ち悪かったあ。
 
もう、うんざりなんですよ。ほんとうにあなたたちには失望しかない。まあ、大人になった息子に相手にされなくなったから孫と遊んで余生を過ごしてるのかも知れないが。

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