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2016年8月23日 (火)

「『被曝で白血病』はデマ」「よくなった部分も伝えて」 ルポ漫画「いちえふ」作者の竜田一人さん、原発報道に疑義

 
「こういうことがあると、『原発で被曝(ひばく)して白血病』というのだけが伝えられる。でも、白血病と原発での作業との科学的な因果関係を国が認めたわけじゃない。労働者を守るために、因果関係が立証されなくても、労災を認める基準があるだけなんです。報道でちゃんとそう伝えてくれないと、誤解される」
 
***
 
そして案の定、そういうおバかさんをたくさん目にしました。
 
こないだ私はちょっとポストモダンと懐疑主義について書きました。行きすぎた相対化により何も決定できなくなってしまった。茶化すだけ茶化して「逃走」したんだ、と。
じゃあ、なんで決定できないのか? 
決定の根拠を「絶対」的な正義に求めるからでしょう? すべての価値は相対的なものであるとしながら、ここに矛盾がある。
 
80年代的「軽さ」の反動としての「重さ」はダメなんだと私は思ってます。名指ししますよ。高橋源一郎や島田雅彦らのことを私は言ってるんです。
 
「私」は常に判断を間違える可能性がある。けれど、とりあえず手持ちの情報から最大限合理的に考えることはできるはず。これこれこういう思考のプロセスを経てこういう結論に至ったということは「私」個人の責任においていえるわけです、「正義」になんか依らずとも。
そうして相対的に過ぎない価値のひとつを選び取るわけですよ。そういう「私」の役を引き受ける。それが大人というもんです。
とりあえず私はそう思っています。

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