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2016年6月11日 (土)

遵法精神

自動車の運転免許をなくして久しい。
けれど私も技術的には世間一般のペーパードライバー並みに車を動かすことはできる。

たとえば田舎道に一台の乗用車が停まる。
運転席から一人の巨漢が降りる。
太りすぎがたたったのか、急に胸を押さえてうずくまった。
脂汗をかき、息も絶えだえだ。
私の他に誰もない。
車もまったく通らない。
10キロ先に病院がある。
救急車はあいにく出払っている。
さて、私はどうするか?
男を背負って病院まで行くか? 
おそらく背負うことすらできないだろう。
では、救急車の戻ってくるのを待つ? 
待つ間に男は死んでしまいそうだ。
 
私は自ら車を運転して男を病院に連れて行くだろう。
こんな私でも、こんな田舎道で事故を起こす蓋然性はきわめて低い。
しかしもちろんその可能性はゼロではないし、そもそも「無免許運転」は道路交通法違反なのだから、法に従い、男を見殺しにするのも一つの「正しさ」なのだろう。
けれどきっと私はそうしない。
表層的な「遵法精神」が人を殺すバカバカしさに耐えられないからだ。
そしてそれは法の本来要請するものではない。

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