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2016年6月11日 (土)

関係性の演劇

一時期よくいわれた「静かな演劇」とほぼ同義と思っていいが、ここでいう「関係」、これを「物語における登場人物の〈人間関係〉」みたいに矮小化して解釈し、「そりゃ芝居なんだから人と人の〈関係〉が描かれるのはアタリマエ」なんてほざいてる者があるようだから記しておく。

そういうこと言ってんじゃねーから。もっと〈実存主義から構造主義へ〉みたいな話なんだよ。
つまり、確固たる内面を持った〈個人〉がまずあって、それがべつの〈個人〉との間に〈関係〉を持つ、んじゃなくて、逆に〈関係〉が〈個人〉を規定するんだ、という考え方。

現代思想的にはべつに新しくもなんともないが、そうした視点が強調された戯曲の〈書かれ方〉は、日本で90年代まではなかったわけ。少なくとも一般化していなかった。
それが「一般化」したんだよ。一過性の「実験」で終わることなく、演劇固有の表現として。単なる日常風景のスケッチみたいな多くの駄作を産みもしたが、それも含めて演劇史的に特筆に値することだから、そうした方法で作られた芝居をわざわざ呼び直してるわけ

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