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2016年6月 7日 (火)

「くださる/いただく」問題

 
以前にも書いた「くださる/いただく」問題。
それに関して参考となる文献(高島俊男『お言葉ですが』)の一部をある方から送って【いただき】/ある方が参考文献の一部を送って【くださり】、私はそれを読んで「そうそう、まさにそういうこと!」と膝を叩いた。
 
その文献の記述に比べ、私の説明はわかりにくいかなあ、ヘタクソだなあ、とも思うけれど、ま、いいや。
中島義道はこんなことをいっている。
〈書くことは他人を巻き込んで自分に向かって語ること、他人の目を通して自分に対して語りかけること、他人に納得させようとするかのような外見を保ちながら、つまり普遍的問題であるかのようなトリックを駆使しながら、じつは自分自身だけに語りかけることである。〉
 
演劇なんかやってるくらいなんで私は常識的な人間ではないし、「正しい」敬語を使いましょうなんて他人に説教するつもりも資格もない。
そうじゃなくて私が問題にしてるのは「主体」だ。行為の主体。
モノカキを名乗る者、とくに社会派を自称する劇作家などが、この「主体」に鈍感なのがどうにも許せない。
そうして「みんな」におもねる通俗的な「善」をなぞって何事かいったふうな顔をする。そういうのを目にすると、私はムカッ腹が立ってしょうがない性癖なのだよ。
今「性癖」? と思ったあなたは辞書を引け。

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