フォト
無料ブログはココログ

« 破壊王 | トップページ | 若さ »

2016年6月11日 (土)

作者

誰が言ったのだったか忘れてしまった。
「物語」というのは始点Aと終点Bをあらかじめ決めて間に線分ABを引くようなものだ、と。
自戒の念も込めて、私はこれを明確に否定したい。

それはもっと積分に近いイメージ。
つまりAB'がB'B''を呼び込み、それがまたB''B'''を呼び込み、その果てにやっとBが現れ、結果として線分ABが完成する。
「物語」というのはそうやって常に事後的なもの。呼び込まれた奇跡の総体。
願わくは、そうして現れたBもまたそこで完結せず、さらに先に伸びていこうと、線分の端でふるふる震えていてほしい。
 
だから戯曲であれ小説であれ文芸作品というものは、そこに作者が現れてしまうものではあっても、作者が「意見」を表明する場では本来ないし、そのために登場人物を利用することなど決して許されない。
 
B'、B''、B'''と、新たな「点」を得るその都度、すでに引かれた線を振り返り、そこから影響を受け続ける。 それが文芸作品の作者=作家というものだ。最初にAを書きつけたときの「私」はもういない。

« 破壊王 | トップページ | 若さ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 破壊王 | トップページ | 若さ »