作者
誰が言ったのだったか忘れてしまった。
「物語」というのは始点Aと終点Bをあらかじめ決めて間に線分ABを引くようなものだ、と。
自戒の念も込めて、私はこれを明確に否定したい。
それはもっと積分に近いイメージ。
つまりAB'がB'B''を呼び込み、それがまたB''B'''を呼び込み、その果てにやっとBが現れ、結果として線分ABが完成する。
「物語」というのはそうやって常に事後的なもの。呼び込まれた奇跡の総体。
願わくは、そうして現れたBもまたそこで完結せず、さらに先に伸びていこうと、線分の端でふるふる震えていてほしい。
だから戯曲であれ小説であれ文芸作品というものは、そこに作者が現れてしまうものではあっても、作者が「意見」を表明する場では本来ないし、そのために登場人物を利用することなど決して許されない。
B'、B''、B'''と、新たな「点」を得るその都度、すでに引かれた線を振り返り、そこから影響を受け続ける。 それが文芸作品の作者=作家というものだ。最初にAを書きつけたときの「私」はもういない。
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