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あの時代、クラスは聖子派/明菜派に二分されていた。むろんそんなのは便宜的な「時代」のカリカチュアに過ぎず、実際のとこ、そんな図式に綺麗に収まるはずもない。そんなこたあわかっているのだが、繰り返しそうした「物語」を耳にし口にするうちに、あたかも「聖子派/明菜派」が「事実」であったかのように、自分の過去を錯覚してしまう。ていうか同世代人がむしろ積極的に過去の細部を忘却し、戯画化された「青春」の証言者になろうとしているかのようで、私は「そんなのウソだ!」と言いたくなる。
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