道義的責任
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/06/12/kiji/K20160612012769820.html
不信任決議案は都議の3分の2以上が出席し、4分の3以上が賛成すれば可決され、知事は辞職か議会解散を選択する。改選後の議会で再度、不信任案が可決されれば失職が決まる。
***
「道義的責任」なんてぼんやりした理由で辞職するより定量化された権力を根拠とする方が遙かにマシ。
で、なんで政治資金規正法の改正って話にならないのだろうか?
政治家にとって不利だから? まあ、それもあるのだろうけど、きっとそれだけじゃないと思うんです。
よくゼネコンの談合事件てありますね。あれ、なんでなくならないんでしょう? ゼネコンは悪人の集まりだから? んなわけない。
ゼネコンのことには明るくないので自分の体験に基づく話を少し。
たとえば受注金額が数億円の通信システムを官公庁へ納入する。これを一社で落札すると独禁法に引っかかるから複数社で分割して受注する。
でもね、別会社でつくったシステムを繋げてすんなり動くってもんじゃないんです。糸電話じゃないんだから。なのにそういう前提なわけです。業者はお上の仕様書に基づいてつくってるだけなんだから、と。そういう建前。
けど「建前」じゃ済まない。国家予算で売りっぱなしってわけにいかない。だから事前に業者間でのすり合わせが必要になるわけです。そこにお上が立ち会うこともあるでしょう。当然、金の話だってしなきゃならない。
これ、週刊誌が悪意を持って書けば簡単に「談合」事件にできますよ。だってそもそもどこが落札するかわからない建前なのだし。
しかし業者は具体的に受注の見込みがないシステムを大金かけて開発なんかするわけないんですよ。
こうした業界固有の事情を、しかし関係者は話したがらない。
むろん「関係」してりゃあ誰もが問題を把握してるってもんじゃありませんし、むしろ「暴露話」なんて眉唾ですけど、詳細を知る立場にある者も、その事実確認的発話が行為遂行的に解釈され(つまり自己弁護と見なされ)、ワイドショウ・週刊誌的な「正義」の餌食になることくらいは容易に察しがつくので、「余計なこと」は話さない。
何も私は「談合」を認めるべきだと主張してるんじゃないんですよ。
「正義」の「餌食」とされた彼らもまたべつの局面では平気でそんな「正義」の側につく。
かように陳腐な「正義」の循環が、弁証法的な議論を妨げているといっているんです。
政治資金規正法にしろ独禁法にしろ、法の本来の要請と法律の文言とが乖離している、私はそう思ってます。
それを放置したまま「人間性」とか「資質」とかいってるのは、法治国家としてダメだろうと思うわけです。
それを放置したまま「人間性」とか「資質」とかいってるのは、法治国家としてダメだろうと思うわけです。
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 茶番劇(2016.11.06)
- 失望(2016.08.28)
- 「『被曝で白血病』はデマ」「よくなった部分も伝えて」 ルポ漫画「いちえふ」作者の竜田一人さん、原発報道に疑義(2016.08.23)
- 藤野発言(2016.06.28)
- 独裁(2016.06.25)
コメント