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2016年6月12日 (日)

御柱祭

どっかの弁護士が御柱祭の中止を求めている件。
私はそれに与しないけど、そういう考えのあるのもわかります。
だって、祭りで死のうが原爆で死のうが「死」には変わりがない。でしょう? 核兵器廃絶を求めるのなら、祭りの中止を求めたっておかしいことはない。
でも実際には扱いが違うよね。なぜか?
それぞれの死がまとってる「物語」が違うんですよ。

「まとってる」と書きましたけどそれは、読み取られる、ってことです。死に行く当事者でさえも、死の瞬間までは自分を主人公とする物語の「読者」なんだという気がします。
そして物語というものは必ず類型化される。「死」そのものに軽重はなくとも、祭りと原爆とで「物語」が区別されるんです。

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